今までに感じたことがないほど衝撃を受けています。
とはいえこの衝撃は他で読んだことも聞いたこともないので(だからこその衝撃でもあるのですが)まったくの勘違いなのかもしれませんが。
以下どの作品もネタバレになりますのでご注意を。
先日書いたように私はこれまで楳図かずおの作品をほとんど読んできませんでした。話題の作品をいくつか拾い読みした程度でした。
画力の高さや話の凄みはわかるのですがなんとなく敬遠するかんじだったのです。
いっぽうの萩尾望都については以前かなり詳しく書きましたが少女期に出会って以来読まなかった期間はあれど常に気になり今では他のどの作家より読んでいます。
つまり萩尾作品は私の頭の中に染み付いたように入っているのです。
その頭をもって私は初めて楳図かずお『漂流教室』を読みました。きっかけは新作アニメ『SonnyBoy』の元ネタだという触れ込みがあってこの第一話に感心したからです。
読んでいくうちに私はいくつもの場面でぎょっとしました。
明らかにそれらは萩尾望都『AWAY』に使われた設定・演出だったからです。その詳細は前回の記事に書いています。
しかし一見すぐに似ていると思わないのは大きな設定がまったく違う-『漂流教室』は小学校だけが未来へタイムスリップする。『AWAY』は世界中で18歳以上と未満で世界が分離してしまうが同じ時間帯に存在するーからでしょう。
が分離された二つの世界で主にこどもたちが大変な苦悩をしていく過程を描くのは同じでありもっとも似通っているのはこの分離された二つの世界を交信する・物を渡す手段がある、という部分です。
この物を渡す手段において楳図かずお氏のアイディアは秀逸です。過去に存在する母親が殺されそうになる息子のいる場所にナイフを置くことで未来の彼に届く、ペストを恐れている息子に薬を届けるため、死体内部に薬を縫い込めてミイラになった腹部からそれを取り出す、すごい発想です。
萩尾『AWAY』が『漂流教室』からもっとも受け継いだものはその恐怖感だと思います。
しかしこれも『漂流教室』において力のない小学生が教師や給食運搬出入り業者関谷と戦う恐怖に比べると『AWAY』は「こどもだけ」の世界なのでやや弱くなってしまいます。
そこで登場するのが異常性格者高山リストです。
リストが無残に子供を殺す場面は萩尾作品の中で最も惨たらしい場面で私は最初読んだ時にひどくショックを覚えました。
萩尾作品には珍しいこの残虐は『漂流教室』からもたらされたのではないかと思うのです。
もう一つこれも楳図世界の大きな驚きの発想ですが『漂流教室』というあまりにも過酷な世界に送り込まれた小学生のひとり咲っぺが「この世界にいたい。帰りたくない」と言い出す場面があります。
咲っぺ自身がしっかりした女子だということもあるのでしょうが彼女は主人公である翔くんが大好きで相思相愛だと思っていたのが体の弱い美少女・西さんの出現から翔の心が次第に彼女へ向いていくのを知って嘆きます。
それでもこの世界にいれば翔くんといつも一緒にいられると思う咲っぺはその恐ろしい世界にいたいと願ってしまうのです。
『AWAY』は漂流教室と比較すればまったく平和な世界ですがそれでも18歳未満子供だけで社会を回していくのは大変なことです。
『AWAY』では恋愛関係も『漂流教室』と共通したものになっています。そこを似せる意味はあったのか、とも思いますが偶然似てしまったのかもしれません。
翔くんを思う咲っぺにあたる『AWAY』の大ちゃんは18歳になって一足先にHOME世界に戻ってきてしまいますが元祖・先っぺと同じく「あの世界に戻りたい」と願ってしまいます。
ここで念を押しておきますが記事に書いているのは私が勝手に思い込んでいることで萩尾望都氏が『漂流教室』を参考にした、とか他の方がそう言われたとかではまったくないので私の勝手な憶測かもしれません。
が、ここまで符号があってくるとさすがに「そうなのでは」と思えてこないでしょうか。
そして『AWAY』で最後に「白い少年」が種明かしを語ります。
世界はもう「終わりへのカウントダウンを始めている」
警鐘を鳴らすためにぼくはあえて世界を分離してみた。
これは『漂流教室』の最後でひとりまじりこんでしまった3歳のユウちゃんが「元の世界に戻って必ず未来を変えて見せる」といったことに符合します。
正直萩尾著『AWAY』は『漂流教室』の凄さには遠く及びませんでした。
しかし作者萩尾氏は私たちの努力で来るべき恐ろしい終末を変えなければならない、というメッセージを伝えたいたい気持ちで『漂流教室』の恐怖をもう一度描いたのではないかと思うのです。
そして先日書いたように『AWAY』には『漂流教室』の最大の感動が存在しませんでした。
『漂流教室』で読者が最も感動するのは主人公・翔を助けたいと思う母親の強い意志です。我が子を救いたい一心でに母親は狂ったように走り回り願い続けるのです。
萩尾氏は『AWAY』で主人公カズキとその両親との愛情をまったく描けませんでした。それは彼女が今までも苦手とするもので仕方のないことでした。
といいたいところですが『AWAY』よりも先に執筆した『バルバラ異界』では主人公・渡会は息子キリヤを助けたい一心で走り回っているのです。
この姿を私はこれまでは萩尾氏が切り開いた新境地と考えていたのですが『漂流教室』の母親の姿からきているのではないかと今回思えたのでした。つまり親の愛情を描くのが苦手な萩尾望都氏は『漂流教室』の母親の姿を写し取ることで渡会という父性愛に満ちたキャラクターを描写できた〝だけだった”のでは、とすら考えるのです。
さらに『バルバラ異界』のラスト3ページ前と『漂流教室』のラスト4ページ前場面がそっくりなのです。
『バルバラ異界』では父親が会うことのかなわない息子を思って空を見上げ小さな息子が空を駆けていく姿が描かれます。
『漂流教室』では母親が会うことのかなわない息子を思って空を見上げ小さな息子とその仲間たちが空を駆けていくのです。
この二つの場面はどちらも強く心を揺さぶられるものです。
なのにもかかわらず萩尾氏は後に執筆した『AWAY』ではそうした親子の情愛を描くのは省いてしまいました。
『バルバラ異界』が受賞をする名作になったのに比べ『AWAY』が面白い発想と試みなのにイマイチになったのはそうした感動を盛り込むことができなかったからではないでしょうか。
この親子の情愛をどうしても理解できない、ゆえに基本的に考えられず描けない。
萩尾望都という優れた作家におけるこの呪いは深い、と思わずにいられません。