ガエル記

散策

『ルックバック』藤本タツキ

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shonenjumpplus.com

 

チェンソーマン』の藤本タツキ、と紹介されていますが実は『チェンソーマン』未読でその前の『ファイアパンチ』を少しだけ読んで「うまいなあ」と感じていた(が続きは未読)状態の私が読んでの感想になります。

 

ただ今大方で絶賛中話題の読み切りマンガです。そして多くの人が書いているように「143ページもあるのに一気に読んでしまった。おもしろかった」という感想を私もまったく同じように感じてしまっておしまい、となりそうなのですがそうはいかないところがまたこの作家作品の凄いところなのかもしれません。

 

 

ではネタバレしますのでご注意を。

作品一気に読んでから読んでくださるとうれしいです。

 

 

 

実を言うと上に「一気に読んでしまった。おもしろかった」と書いたのは感想の省略になります。

略さずに書くと

「読み始め一気に惹きこまれすげえええと読み続けたら京本が死んだと描かれて一気に醒めてこれだめだと落ち込んでなんとか読み終わったけどもう一度読んでやっぱりこの巧さは特別だしおもしろい(けどちょっとなんだかな)」

となります。

 

作品後半で主要人物を死なせてしまう、のはいかにもお涙誘導作品としてマイナス80点でたとえ他の部分が良くできていても100点からさっぴかれ20点にしかならない、と思うのですが、それはあくまでも作品自体が100点の範疇ならですが本作の場合は最初の感動が240点くらいでそこから80点引いてもまだ普通の100点軽く超えてるじゃねえかくらいの勢いがあるのではないかと思わされてしまうのです。

 

しかも本作は単なる友情ドラマではなく実際に起きた「京アニ放火事件」を思い起こさせる日付を配しフィクションの中に現実を混ぜ込むことで別の感情を引き起こすカラクリまで仕込んでいます。

そのことに気づかせ「まんがにするなんて」という反感を引きずり出してしまう一方でこんなにも努力している若い女性(男性も、ですが)が突然殺されてしまう理不尽悲しみを現実として盛り込ませてしまったのです。

 

他の反感としては「感動的な友情物語として描いているが結局これはマンガ家になれた〝勝ち組”の憐憫にすぎない。うんざりする」というものがあります。

本作はクリエイターを目指してもそこに到達し得なかった者には辛い作品なのです。

私自身、最近もマンガを描いたりしているような人間なのでこの意見には共感できるのです。

それにしてはすぐそこに至らなかったのはさすがに年齢が過ぎすぎて嫉妬が少なくなってしまったのでしょうが、まだ若くして別の道に入らざるを得なかった人にはキツイ物語なのです。

しかし作者はここにも技巧をこらしています。

主人公と副主人公に自分の名前を分けて入れているのです。

「藤野歩」と「京本」は作者「藤本」の分身ということでしょう。

 

とはいえ、作品には明らかに

「主人公はマンガを描き続けてマンガ家になり彼女に憧れてその助手となった副主人公はマンガ家になれないまま殺された」

という本筋があり、主人公がその友人に嫉妬したり恨めしく思ったり失望したり後悔していく感情が描かれていきます。

 

しばらく考えて私がふと思い起こしてしまったのは先日読んだ萩尾望都竹宮惠子の二つの思い出話です。

それでいえば藤野は竹宮、京本は萩尾、というところでしょうか。

一緒に住んでマンガを描く、という関係にまでなったふたりですが竹宮は萩尾の底知れぬ才能に嫉妬し別れを言い出すことになります。

 

もちろんこれは完全な妄想でちっとも中身は一致しませんし若い藤本タツキ氏が竹宮・萩尾の青春思い出話を取り込んだわけもありません。

 

しかし一般人以上にマンガ家諸氏が本作に極端なほど過大なほどに感激賛辞を送っていることにその心理を感じてしまいます。

 

本作はフィクションです。

物語は作家の心が描かれたものです。

作家は筋書きの多くの選択肢から取り出すのです。

マンガ家になれたマンガ家藤本氏は「主人公はマンガ家になり友人は殺された」という筋書きを選択しました。

なぜなのでしょうか。

友人が殺されず優秀なマンガ家に或いは平凡なマンガ家に或いはマンガ家になれずアシスタントもしくは別の道に進んだ、という選択を何故しなかったのか。

 

友人の死、青春時代の死、という題材が鮮烈だから。

京アニ事件」に絡ませて社会性・問題性を与えたかったから。

 

理由は様々につけられますが作者が「それ」を選びたかったのは確かです。

 

フィクションは作者の選択で作られるものです。

その選択は作者自身の心を写しています。

 

それゆえ読者はその選択に感動し、また失望するのです。

 

多くのマンガ家諸氏は藤本氏の選択に感動しました。共感できるからです。自身がマンガ家になり去っていった友人を懐かしむからです。

マンガ家になりたかったのになれなかった諸氏は全員ではないでしょうがその選択に失望しました。殺された京本が自分だからです。なぜ自分が死ななければならないのか。あまりにも理不尽な。

せめて同人作家になるとか、別の道を歩ませてほしかった。

しかしwikiを見ると藤本氏自身高校生からマンガ家になれるような人生でもなく本作自体醒めて描いているのかもしれないとも考えられます。

 

他作品でも見える強烈な残酷性が藤本氏の魅力なのは間違いないのです。