もう少しだべってみます。
確かにヘンテコな映画でした。絶賛される一方でまったく面白くないとこきおろされてもいます。
私もあまりに人気があった記憶があるので捻くれて「くだらない映画と確認してみるか」と言う気持ちがどこかにあったのですが実際には非常に興味深く示唆に富んだ作品であると感じました。
ネタバレしますのでご注意を。
'If you build it, he will come.'(それを作れば彼は来る)
そんな「声」を聴いた主人公レイ・キンセラはその意味が「野球場を作ればかつての名選手シューレス・ジョーが現れてくれる」ことだと信じてローンを抱えたトウモロコシ畑に球場を作り財産を失ってしまいます。周囲の人々は自分の畑のトウモロコシがもう少しで収穫という時期に刈り取ってしまう彼を見て嘲笑うのでした。
この部分は神からのお告げを聞いて箱舟を作るノアを思い出させます。
本作では洪水は起こりませんが洪水で大地を失うのと同じように自分の大切なものを失わないためにレイは箱舟ならぬ「野球場」を作るのです。
箱舟ならぬ球場に乗り込んできたのはジョー・ジャクソン含む8人の野球選手でした。
ゴーストである彼らは「夢を断たれた野球」を思う存分楽しむのでした。
そう。今回観て気づいたのですが私はこの映画が自分の好きなかつての名選手をオールスターで戦わせて面白がっていると思い込んでいましたがそうではなかったのですね。
レイの作った球場に集まったのは1919年MLBワールドシリーズで発生した八百長事件で摘発されたホワイトソックスの主力選手であった八選手だったのです。
私はこの事件を幾つかの本などで読んだだけの知識しかありませんが(というか幾つも小説などでも書かれていたように記憶します)アメリカ野球界の大きな事件として人々の記憶に残っているようですね。
今wikiを見るとその事件の正体はよくわからないし当時の八選手の状況がかなり苦しいものだったから起きたのではないかと読めてしまって確かにこれだと彼らに同情しもう一度野球をやらせてあげたいと考えるレイの気持ちもわかります。
そしてレイが受けた更なるお告げは
「Eace his pain(彼の痛みを和らげろ)」
です。
本作ではテレンス・マンという黒人男性になっている彼のモデルはJ・D・サリンジャーだということです。
しかし教えてもらわなくてもサリンジャーを知っていれば本作で「若者に大人気で大人たちから禁書活動まで起こされ隠遁生活に入った有名作家」と説明されればすぐに彼を指していると思いつくのは簡単でしょう。
映画の中ではレイの妻が「彼と野球は何が関係あるの?」と問いただします。レイはそれに「彼は野球選手になりたがっていたんだ」と答えます。
実際サリンジャーがどれほど野球選手になりたかったのかは知りませんが確かに「ナイン・ストーリーズ」の『笑い男』にも野球チームの話が描かれています。
そして彼自身が小説家をあまりに早くやめてしまったことを惜しむレイの思いがあるのです。
さらに野球選手への道を諦め医者として生きたグラハム、同じようにレイの父親も夢を諦めて人生を終わってしまったのです。
そうした夢を諦めた人々が集まることができるのがこの「野球場」なのだ、と映画は語ります。
そしてこれを知った人々も自分の魂を癒すために集まってくるぞ、とテレンス・マンは予言し実現する場面で映画は終わるのです。
これはもちろんファンタジーです。中には「自分は野球になど興味ない」とすねる人もいるでしょうが「野球」と言うのは一つの表現であるにすぎません。
それぞれが自分の中の「大切なもの」を取り戻すイメージを持てればいいのです。