もう何度か観ているのですがまた観たくなりました。
なぜこんなにこの作品に惹かれてしまうのでしょうか。
答えは当然のようにわかってはいるのです。
乙女が子供の頃に何度も読み返した本『ラタタタム』は私にとっては『カロリーヌとお友達』でしょうか。
そして古本市で本が様々な人の手に渡っていく話も心に届きます。
やっと酒を飲める年齢になったと思しき乙女が同時に「そこに酒がある限り」飲んでいたいと願う酒豪でありつつ大人の世界にまだ憧れている、という設定も楽しいのです。
これまで他に「自分の若い頃を思い出す」と言う作品にはあまり出会ってこなかったのですがこのアニメ作品はそんな気持ちにさせてくれる稀有な存在に感じました。
悲しいかな乙女のように酒を楽しめる体質ではありませんでしたが。
この作品の良さを挙げようと思えば絵の美しさ、言葉の面白さ、キャラクターの魅力、音楽とダンスの楽しさときりなくありますがもうひとつ別の切り口で現在の日本のアニメ作品にあまりない要素が込められていることを強調したいのです。
ここにもう何度も書いてきたように思うのですが先日映画『メッセージ』を観てからそれまでもやもやと思っていた答え、というより問題意識が明確になった気がしてきました。
それは「世界があまりにもバトルに満ちている」ということです。
特に日本アニメ・マンガ世界とりわけ男性向けと言われる作品において主題がバトルであることが多すぎるというかそれしかない、とさえ思えてきます。
そういう私自身女性でありながらそもそもバトル主題の作品が大好きでした。今でも嫌いなわけではありません。
しかしそれは本当に良かったのか、正しかったのか、と考えています。
もちろん本作アニメでもバトル要素はありますが問題にすべきは殺人・加虐・傷害目的のバトルです。
戦争ものがその極致でしょうか。闘争・喧嘩・暴力・レイプ・いじめ・拷問・脅迫・ハラスメントなどが日本では「少年少女」という冠をつけた雑誌やテレビアニメに蔓延しているのはそれを描けば「売れる」という短絡からくるものですがそれを許してきたためにとうとう行き詰まってしまったのではないかとさえ思うのです。
いかに刺激的衝撃的なバトル設定を考えつくか、に現在の日本の作品は偏っています。
男性向け少年向けはほぼすべてと言っていいし女性向け少女向けもバトル方向へいくことが男性と対等になることだと信じている気がしています。それは良いことなのでしょうか。
湯浅監督が担当した『映像研には手を出すな』は素晴らしいテレビアニメで私も大好きですが気になるのは女子高校生たちが作ったアニメがどれもバトルを主題にしたものだったことです。
これはたぶん原作マンガがそうだったので変えようもなかった、と思うし自分自身が高校生でアニメを作ったとしても「受けを考えて」やはりバトルものにしたであろうことはたやすく考えられます。そのこと自体が良いことなのか、と悩んでしまうのです。
私自身以前から日本のアニメはバトルが刺激的で面白いけど外国のは退屈だと思っていました。現在の日本のアニメ好きの人たちの意見も同じような気がします。
逆に言えば「バトルなしで面白くするのはとても難しい」のです。
何らかの作品を読む・見る以上やはり面白くあってほしい。退屈せずに最後まで楽しませてほしい。それには衝撃的なバトルを持ち込むのが手っ取り早い。知的なセンスで楽しませるのは大変な労力を要します。
『夜は短し歩けよ乙女』は日本のアニメ映画で稀有というべきバトルなしの面白い作品ですが観客動員・興行収入数を見れば日本では決して上位とは言い難い。
数を取るにはバトルが必要なのです。
もっともくだらないバトルものが売れることで業界が存続しこうした素晴らしい作品がたまに生まれるのだ、ということも言えます。
答えが簡単に見つかることもないのでしょうが何が大切なのかどうしたらいいのか、を考えるのは重要なのだと思っています。