今回は珍しく?元ネタと言われる『蠅の王』映画を意識した絵作りになっていました。
ネタバレしますのでご注意を。
映画『蠅の王』はショッキングな映像が多く、それはその後の作品に多大な影響を与えていると思われます。
特に本作アニメ今回に出てきた「獣の頭部を串刺しにした」ものはそれが子どもたちの行った暴力の象徴ともなっていました。
『蠅の王』はそのまた以前にヴェルヌによって書かれた『十五少年漂流記』の闇落ちパロディです。あまりにも優等生的なヴェルヌ作に対し「実際の少年ならばこうだろう」というゴールディングの辛辣な皮肉で多くのクリエイターがその毒に参ってしまったわけですが、本作『SonnyBoy』はそれをまた変化進化させたパロディとなっています。
つまり今回にあわせて言えば「リバースのリバース」です。
確かに現在日本の少年少女たちが『蠅の王』のような狂気の暴力に陥るかどうか、それは楳図かずお著『漂流教室』の暴力性が再現されるかどうかとも言えます。
とはいえ楳図著『漂流教室』は以前書いたように私は「第二次世界大戦」に巻き込まれてしまった子どもたちの悲劇を再現したものだと思っていますので戦争を体験しないでいる現在少年少女たちの物語はもっと違うもの違う苦しみ悩みとして描かれるのだと思います。
1963年版映画『蠅の王』自体も核戦争の狂気・暴力を意味しているのですから。ただしリメイク映画の『蠅の王』はその恐怖が失われていました。
さらなる「とはいえ」現在に続くまで多くのマンガアニメ映画小説などの作品は暴力に満ち満ちています。
本来語られるべき暴力というより単なる刺激物としての暴力がエンタメとして再生産されていくのです。
前回に引き続き今回も現在のコンテンツの暴力性への批判と疑問を表現しているのではないかと感じました。
さらにそうしたコンテンツはコピーのコピーのコピーばかりなのです。そして本作もまたリメイクとして作られたコピーですけどね、という自嘲が語られています。
タイトルはそうしたコピーなのに大事な「暴力」を忘れているということでしょうか。
ゆえに今回は『蠅の王』&『漂流教室』リメイクらしく豚の頭の串刺しと暴力を「相撲を取る」と言う形で表しました。核爆弾投下のような演出もありました。
暴力は「髪の毛が一本多いか少ないか」の如き理由で発生したりするものです。
しかも争っている相手は自分のそっくりの双子かもしれません。
相手を殺そうとして胸にぽっかり空いた穴。これは明らかにゴッホ兄弟の彫像ですね。
結局ソウはセイジを殺すことで自分自身を殺してしまったわけです。
暴力で世界は解決しないのです。
それにしてもラジダニがいなくなったのはやはりきついっすね。
真実とはなんだろう。