第7話「ロード・ブック」第8話「笑い犬」まで来ました。
怖ろしいほど『SonnyBoy』世界の中に入り込んでいるようで自分自身この漂流世界を体験しているように感じます。
ネタバレしますのでご注意を。
第7話「ロード・ブック」
秀逸なSF短編です。
ここまでくると「漂流」は人生の中の迷走期間だというのがはっきりしてきますね。そして夏目監督が思うモラトリアムは6話のように永遠に続く苦悩であって楽しいものなのではないのでしょう。なかにはモラトリアムを心底楽しめる人もいるはずですが日本人の感覚ではそう認識しづらいのでしょうね。あの「寅さん」でもなんとなく彼の生活は肯定されてはいないからこそ作品が成立しているように思えます。
長良も最初の頃の人生にうんざりしているようなぼんやりした表情がなくなりはっきりと「漂流世界」=「生きていない世界」から脱出したい、その方法を見つけたいという強い意志が現れています。
以前なら朝風の「一緒に行こう」という言葉に何の興味もないまま「そうだね」と言ってしまっていたと思われる長良が「僕は僕の道を進む」とさらりと言い返せるようになっています。
ラジダニが長良に渡した能力リストの長良のページには最初「無能」と書かれていたのが棒線で消され「天地創造」ランクSSSS・神と記されています。
世界を創り出すことができる!
いつも知ったような顔でふてくされていたけど今は変わった!世界に向き合い逃げなくなった!長良は僕の親友。がんばれ!
このカットで作品のすべてが語られていますねw
そうです。長良は漂流して変わったのでした。
その評価を自分でも認識できるようになり自己肯定が明確になり表現できるようになったのです。
朝風は長良からそんな言葉を聞くとは思わず「なんだおまえ」としか返せません。
しかしここで物語が別方向へねじれていきます。
長良に直行「いいじゃんそれ」と賛同した瑞穂と対照的にこれまでいつも前向きだった希が「わたしは・・・どうしようかな」と顔を伏せるのです。
人生はままならない。
第8話「笑い犬」
笑いと題されていますが悲しい話で同時に全作品中一番ロマンチックな話でもあります。
ヤマビコとコダマ。どちらも反響する音を意味しています。
それが何を表現するのかはわかりません。
ヤマビコは長良たちと同じくクラスメイトと上手くいかず離れて放浪してきた男です。
一方コダマは仲間で放浪し良い環境を見つけてそこに留まり自分たちの住む場所を見つけたのです。
ストーンヘンジらしき背景とコダマの仲間たちがクリケットをしている光景がイギリスを感じさせます。コダマの造形もイギリス人のようです。
不思議な力を持ち優しい心の持ち主コダマに最初はひねくれていたヤマビコも次第に惹かれ「彼女のためなら何でもする」というほどに変わっていきます。
ヤマビコのイメージは長良に重なります。
もしかしたら夏目監督は最初ヤマビコとコダマの物語を考えていたのではないでしょうか。
しかしそれだとあまりにもファンタジックなのでより現実的な日本の中学生を主人公にしたのではないのかとも考えます。
だけど今のコロナ禍を思えば案外ヤマビコとコダマの話はリアルだったかもしれません。
そして5000年かけてやっと外へ飛び出すことができたというヤマビコに長良は「ぼくもできるかな」と問いかけヤマビコは「ああ、やれるさ」と答えます。
しばらく離れていた希と再会した時彼女が気持ちを復活させていたのでほっとしました。
それからん再びヤマビコがかつて出会った「戦争」の話をします。
戦争は神殺しを目指していた、というのです。
長良は「もし神を殺せたとしてそれで何かが変わるのかな」とつぶやくように問いかけます。
この「神」というのは以前にも書いたように社会のシステムを司っている「者たち」を意味しています。
長良たちにとっては「学校」そのものと言ってもいいのでしょう。
学生時期は学校世界がすべてだからです。
ここではあの「校長」がその代表として表現されています。アキ先生は偽物ですが「学校」の手先みたいなものです。
私たちは「学校」の言いなりになる必要はまったくないのですが学生時期にそう認識できることは稀です。学校に上手く適応できなければそれは死を意味する、とすら考えてしまうのです。
日本ではいつまでたってもくだらない校則を変えることができず、いじめをなくすとだけ言い続けて根本的な変革をすることに気づきません。
(いじめがなくなるはずがないのです。いじめが起きた時にまた起きそうな時に的確な処理をするだけなのです)
長良は「神を殺したとしてそれで何か変わるのかな」とやや否定的に感じる言い方をしています。
私はこの場合の「神を殺す」=「システムの変革」でなにかは必ず変わる、と思っています。
今の日本の学校制度はもう極限状況まで来てると思えます。
学校制度自体を変革させなければどうしようもないのです。
日本の学校制度は「軍隊を作るためのもの」ということが当たり前に言われてきました。
戦争反対者であれば学校制度になじめないのは当然です。
学校制度の抑圧で長良たちは漂流しているのです。