『A Man for All Seasons』というのが原題です。英語に堪能でない私には「全季節の男」ってなに?ってかんじです。この意味について書いてくださっているブログを見つけました。
どんぴしゃこの映画についての記事でした。やはり気になりますよね、このタイトルは。それなのに邦題はまったくなんの意味もない安直な言葉でしかなく映画の本質から離れてしまっています。
以下ネタバレしますのでご注意を。
しかしこの映画、先日観たイギリスドラマ同様に単純に感想を言えない多面性の作品です。
気になるタイトル『A Man for All Seasons』は本作においていったいどういう意味を持たせているのでしょうか。
主人公トマス・モアの名は私でさえ知っている周知の人物です。たぶんこの通りの人だったというよりも彼の名を通じて一つのキャラクターを作り上げたのではないでしょうか。
『ユートピア』という著書を書いたことで有名ですがそれについては映画ではさらりと触れているだけでアリスという年上の妻と彼女の連れ子であるマーガレットのみが娘として登場します。実際はもっと実子と養子がいたとwikiに書かれていますね。
映画では大法官に上り詰めたトマスに焦点が置かれ敬虔なカソリック信徒として頑固なまでの彼の信念を描写します。
最も彼が試されたのが当時の国王ヘンリー八世の正妻キャサリンとの離婚を絶対に認めなかった経緯です。
ヘンリー八世は男子の後継者を望んでいたのですがキャサリンとの間にはついにかないませんでした。愛人であるアン・ブーリンとの結婚を王は急いだのです。
幾度となくトマスは迫害を受け「王の離婚を認めればすべてを許される」と提言されても頑なにカソリックとして王の離婚を認めませんでした。そして彼は離職させられついには斬首刑となってしまうのです。
その間を取り持つノーフォーク公爵はトマス・モアの親友であり標準的な人物として位置します。
ヘンリー八世は居丈高で傲慢ですが心中では誰よりもトマス・モアに一目置き信頼しているのです。だからこそ彼に離婚を認めてもらうことが必要だったのでした。
私はこの映画をまったく知らなかったのですがこうして観ていると後年製作された日本映画での豊臣秀吉と千利休の関係描写を思い起こさせます。もしかしたらとも思えます。
では原題『A Man for All Seasons』は信念の人トマス・モアに対しての言葉なのでしょうか。となると意味に疑問が生じます。彼は頑固一徹でオールシーズンに対応してなどいないからです。
しかし本作ではもう一人リチャード・リッチという男性が登場します。彼は創造人物でしょうか。名誉を求めないトマス・モアと対照的に描かれています。
彼は冒頭高邁なトマス・モアを尊敬し慕い彼の推薦によって宮廷で働きたいと願い出ますがトマスはこれを拒み教師に道を勧めるのです。
が、出世を望むリッチはトマスに憧れながらも仕方なく敵方であるクロムウェルに従い魂を売ることによってウェールズの検事総長となり後には大法官に上り詰め安楽な最期を迎えたと映画は語ります。
つまり彼こそが賢い男でありすべての状況に応じる男
すなわち『A Man for All Seasons』なのではないでしょうか。タイトルは主人公偉大なる信念の人トマス・モアではなく
魂を売る決意をして世間を渡ったリチャード・リッチ(名前もなんだかなです)を指しているのではないのでしょうか。
主人公への皮肉のように描かれるリッチはまさにすべてに順応できる男でした。
(失礼ながら、参考にさせていただいたブログ主さんはどうやら主人公への賛辞だと思われてどうしてもたどり着けなかったのではないのでしょうか)
さてしかしこの映画を観て信念を貫き斬首刑になるのはやはりいただけない。
彼自身「自分の信念は変えられない」といいながらも家族には逃亡して生き延びることを願っています。ここはとても胸を打ちます。
妻のアリスが牢にいるトマスとの面会で「あなたが死んだら恨んでやる」と罵りトマスが「そんな考えはいけない」と泣きそうになる場面は素晴らしいです。
妻アリスの描き方も共感しました。
トマスの描き方は『アラバマ物語』のアティカスも思い出させますが『アラバマ物語』のほうが本作より4年も前に作られていて驚きでした。歴史ものなのでついつい昔に作られている勘違いがおきます。
こうした高邁な精神の人物を描くのは西洋の物語においてとても重要なこととされているように思えます。
リチャード・リッチを若かりしジョン・ハートが演じていることでもこの役が重要なのはわかりますね。
ヘンリー八世がロバート・ショウなのも楽しい。
トマス・モアを演じるポール・スコフィールド素晴らしい。やっぱり惚れてしまいます。
この映画に巡り合えたネットフリックスに感謝。