以前にも観ていたのですがTV放送されていたので再鑑賞しました。
トキワ荘の逸話はよく知られていることですが石ノ森章太郎でも赤塚不二夫でも藤子不二雄でもなく現在ではまったくその名を聞くことがない寺田ヒロオ氏を主人公にしたのは監督である市川準氏がその人に自分を重ねたのではないでしょうか。
と言っても私は今まで市川準映画をまったく知らずにきました。
市川監督の作品名を眺めその概要に目を通すと派手な商業主義ではない静かに地味な印象を受けます。しかもその作品名のほとんどは目にした記憶もないほどです。
とはいえ映画賞は数々受賞されており、実力がありながらあまり派手な押し出しがなかったということなのでしょうか。
そのあたりが本作の寺田ヒロオ氏のイメージとも重なるように感じたのでした。
ネタバレしますのでご注意を。
映画自体ももしかしたら物足りない内容なのかもしれません。
トキワ荘はあまりにも静謐な佇まいでありそこに住む若いマンガ家たちもただひたすらマンガを描くことに没頭しています。
怖いのは生活費がないためマンガを描くことができなくなってしまうこと。
寺田氏はたびたび金を無心にくる後輩たちに嫌な顔もせず自分でも足りないはずの生活費を分けてあげるのです。
皆の兄貴的存在の寺田氏を演じているのが本木雅弘。硬派でひたむきでありながら優しく物静かな寺田ヒロオという人物像を魅力的に演じています。
映画で顔がはっきりと映し出されるのは彼だけで他の人物はあえて遠目に撮られているのかどの人が誰なのか、あまり明確になされてないように思えるのもこの青春映画の独特の味わいなのです。
寺田氏の心の奥底は演じられることがありません。
言葉で「私はそれほど立派な人ではありません。私はもっと悪い人間です」とは説明がはいりますが、その実彼が他人を貶めたり自分を卑下する場面もないのです。
しかしそれでも寺田氏の「子供たちにとって良いマンガを描きたいのです」という言葉には危険があります。
本当に子どもたちにとって良いマンガとはなにか?
それは誰にもわからないのではないでしょうか。
私自身、寺田ヒロオ氏のマンガを少し眺めてもそこに興味を持ちえないのです。子供時代に見たとしても読まなかったでしょう。
さらに言えば私は寺田氏が認めた石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄の各氏のマンガがあまり好きではありませんでした。
私が好きだったのは水木しげる、つげ義春、白土三平派のマンガだったのです。
そこに描かれるのは残酷な心理や殺人です。しかしその中にこそ子どもの私が覗き見たい何かがあるのでした。
結局寺田氏の言う「子供たちにとって良いマンガ」の子どもも寺田氏の中にいる子どもなのです。
自分にとっての良いマンガなのです。
本作では寺田氏の別の側面は描かれないままです。
トキワ荘の皆を愛し、野球をする礼儀正しい子供にやさしい視線を投げ孤高にたたずむ寺田ヒロオ氏の姿を映します。
そして静かに彼がトキワ荘に別れを告げて物語は幕を閉じます。
wikiによればその後の寺田氏は人づきあいも少なく病気になっても治療もせずに60代で亡くなったとあります。
市川準監督に関する記述では50代の若さで亡くなられています。
そこにも奇妙な重なりがあるのでしょうか。
今であれば寺田ヒロオ氏がマンガを描く場所はネット上にあると思えます。
現在でも出版ものはどうしても「こうであるべき」ルールに縛られますが、ウェブマンガなら氏も活躍できたのでは、と考えてしまいます。
しかしそれだけではない氏の絶望があったのかもしれません。
私としては今までまったく観てこなかった市川準監督作品を観ねば、と思っているところです。