ガエル記

散策

『バカの壁』養老孟子

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2003年のベストセラーということですでに18年前の著書になります。ちら読みはしていたかもですが今回初読しました。

レビューを見ると賛否両論の本書ですが私は有意義な本だと思いました。18年経ってからだからこそ納得できる部分もあるかもしれません。

しかしこの本がベストセラーであったならもう少し世間に影響があっても良かったのではと思いますがこの本の主旨となるところはなかなか社会に浸透してはいないようにも思えてしまいます。それとも浸透してこのくらいなのでしょうか。

主旨というのはもう冒頭に書かれていてそれは「話しても(人はそれを)わからない」という題目です。

「同じドキュメンタリーを観ても共感度によってまったく理解が違ってくる」という例題を通して「人は知りたくないことには耳を貸さない」という答えが導かれます。

現在も同じ例題が繰り返され「どうしてこの苦しみを理解してくれないのだ」という議論は絶えません。

ベストセラー本に重要なことが書かれていても結局「人は読みたい部分しか読まない」ということです。

 

私が面白いと思った一つは「世界と自分の境界線」というものです。

「自分」は自分をえこひいきしているので自分を汚いと感じないが自分から切り離された途端嫌悪を感じる、ということです。

つまり自分の中にある唾液や糞尿は汚くないが外に排出した途端汚いものと認識される、というからくりです。髪の毛などもそうです。

諸星大二郎氏は自著のマンガで人間と世界がくっついてしまい「幸福だ」と感じると描かれています。私は面白いと思いながらも本当にそうなのか、と思い続けてきたのですが今やっと理屈がわかりました。遅すぎます。

その理論を広げれば同じ日本人であっても考えが違う人々を嫌悪する感覚がわかるというものです。

 

そして本著の終わりでは一元論=一神教の恐ろしさについて語られます。

私は十代の頃森本哲郎氏にはまっていたのですが彼の考えも一神教への疑問でした。

日本人はもともと八百万の神という多元的な考えをしていたのですが近代になり他国と戦争を起こす時点で強度の一神教を持ち出してきます。

一神教は固い連帯を持ちやすいのですが少しでもそこから外れることを嫌います。

数多くの神が存在することを許せば連帯もゆるくなりその分思考もゆるくていいのです。

現在の日本はいまだ明治から築かれてきた近代の縛りから脱しきれずもがいているように思われてなりません。

 

しかしまあそれもこの国の住人たちが歩いてきた道なので仕方ないのです。

この本がベストセラーとなってもさほど変われなかったのか、それとも大いに影響されてこの程度なのか、よくはわかりませんが身をもって体験しながら進むしかないのです。そのことも本作に書かれているのですから。