ガエル記

散策

『SHIROBAKO劇場版』水島努

f:id:gaerial:20211224055927j:plain

昨日途中まで観て「おもしろいよ」とツイートしてしまったのですが最後まで鑑賞して「うーむ」と唸っている状態です。

他の方のレビューでも賛否両論というよりほとんどの方が「おもしろくなくはないけど」「良いところもあれば悪いところもある」といったひとりの中で賛否を持っている人が多いように見受けられました。

私もまったく同じです。

「可もなく不可もなく」ではなく「良いんだけどなんだろう?」なのですね。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

結論から言うと『SHIROBAKO』で言いたいものはTVシリーズワンシーズンですべて出し切ったのではないでしょうか。

アニメ業界の内輪話なのでやろうと思えばいつまででもあの手この手でやれるのでしょうが少なくとも水島監督は全部言ってしまったのかもしれません。

なのでシーズン2や劇場版を作ろうと思った段階で別の監督に別の『SHIROBAKO』を描いてもらうべきだったのかもしれません。

つまりずっと各監督ごとの『SHIROBAKO』になるというわけです。

宮森あおい、という名前は残しつつ様々な宮森あおい、が描かれる、という手もあります。

 

多くの方が指摘されているように劇場版『SHIROBAKO』は結局TV版の二番煎じになってしまっているのですよね。

製作上での失敗からの監督闇落ち、あおいちゃん頑張るからのみんなで一致団結しての復活、勝利。

失敗は深刻で充分見ごたえあるし、あおいちゃんの頑張りも応援したくなるものですが作りたい作品がこちらでも同じく可愛いキャラの娯楽作品でもあるしワンパターン化してしまうのは当然なのだと思います。

TV版でも手掛ける作品は同じタイプのものでした。

例えば最初に企画が『空中強襲揚陸艦 SIVA(シヴァ)』とうタイトルだけしかないのですからそこから超絶ドシリアスで重厚劇画なSFアニメにする、という手もあったはずです。

しかし開けてみれば依然と同じような少年少女キャラと動物がメインの軽いアクションものになってしまう。

主人公が監督や作画スタッフではなく企画なのだから意識さえあれば違った方向性を求める、ということもできたはずですがそもそも監督が自分の好きな方面にしか興味を持てないのでは仕方ないのでしょう。

TV放送の第二シーズンを作っていたとしても同じ話の繰り返しになってしまったはずです。

 

そしてもうひとつ。

TV版でも気になっていたのは数多くの女性たち男性たちが登場するのに恋愛話がまったく出てこない。

確かに朝ドラなどの実写ドラマは肝心の仕事内容はそっちのけで恋愛沙汰ばかりの話になるのが興醒めではあるのですがここまで恋愛無視というのもちょいと心配にもなります。

アニメ業界の女性たち「忙しくて恋愛どころじゃなかったわ」というものなのかもしれませんがここまで削られてしまうと監督の女性に対する考えが「恋愛などするな」「恋愛は無価値」と考えているのだろうか、とあまり恋愛ものを観ない私でさえ思ってしまいます。

劇中作られるアニメ作品も女子ばかりが出てきてしかも恋愛沙汰がないようですし。

本作の劇中作品の少年の声が女性だったのはさすがに懸念しました。

どうやら水島監督という方は自分が作った女性キャラが男性を求めるのは許せない人格のようです。しかしそれがないとに人間そして女性を描くことはできないと思います。

 

SHIROBAKO』劇場版、前半の挫折苦悩パートはなかなか見せてくれますが後半肝心の製作パートになっていくとそうしたことが相まって内容がすかすかになっていき皆さんが物足りなく感じてしまう結果になってしまったのです。

 

TV版であればそこそこ隠し通せた人間性の欠如が拡張された劇場版では露見してしまった、ということではないでしょうか。

 

やはり人間は好きになった人、恋愛、憧れなどから成長していくものです。

そこを無視して仕事だけで感動させようとしても表面だけのものになってしまう、のです。