ガエル記

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『時光代理人』#6「手合わせ」

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番外編、ということでしたがまったく違う話というわけでもなく見ごたえあるなかなか良い話でした。

 

いつものことで他の方のレビューを見たのですが勘違いしている人が多く、内容を把握してもらうのは結構難しいのだなと確認しました。

いやいやそんなに困難な分析ではないでしょう。

しかしこの話で感動するか否かは若い人と年を取っている者とではそして結婚しているかいないか(長い期間の恋人同士でも可)でも違ってくるのかもしれませんね。

 

 

以下ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

愛において難しいのはなんだろう。

運命の相手に出会うことか。

告白することか。

それとも最初の思いをずっと保ち続けることか。

 

先の二つは勢いですが、三つめは本当に難しい。

なぜなら心は変わってしまうからです。状況が変わった、相手が変化した、などということで言い訳をします。

 

この物語ではそれを親の承諾を得て結婚する、という恋人への約束を果たす物語で表現しました。

達人である父と武闘で勝利するのが条件という話なのである意味馬鹿々々しくもありますがぼろぼろになるのがわかっていても毎年挑戦し続ける男性の誓いに対する信念と意地をどう感じとるかが問われます。

 

中国の物語はこうした長い間思いを保ち続ける、という思いに感動を寄せることが多いと私は感じています。

つまり「臥薪嘗胆」です。

これは復讐の言葉ですがしつこく思い続けるのは恋心も復讐も同じなのです。

 

当の恋人同士は一緒に暮らしすでに成長した子どももいる幸福な暮らしをしているのですが最初に誓った二人の言葉をリウ・スーウェンは携帯に保存しいつもそれを見ては「臥薪嘗胆」していたのです。

「私を娶りに来て」「もちろん。ずっと一緒にいよう」

スーウェンの返事「一起白頭老」(頭は簡体字)がアニメで表されています。

愛する心は変わらずあるけどその愛する女性との約束を果たせずにいたスーウェンは自分を不甲斐なく思っていたのです。

この時のオウヤンの言葉「娶りに来て」は中国でもたぶん古臭い言葉遣いなのではないでしょうか。

当人同士が結婚する、というよりも様式として男性が他家の女性を妻を迎える、といった感覚でしょう。つまり言葉の持つ制約にスーウェンは縛られこだわっているのです。

これをどう思うかです。

 

スーウェンはマジでケンカが弱く、父親はマジで達人だったのでしょう。

しかしその父親と戦うために節制をして体を鍛え道場を開き子どもは海外で活躍しているというスーウェンの信念には感心します。

なまじ才能があった兄弟子よりも愛情深く根性のある男です。

人はとびぬけた才能には目を見張り賛辞を送りますが長く続けている凡才は見落とすか気づいても嘲笑することさえあります。

が、『スラムダンク』のメガネ君に感動した人ならばスーウェンの志も解るでしょう。

 

(ん?バスケつながりでやっぱこれメガネ君か?)

 

 

 

これ書いた後に見つけた