既に『コードギアス 反逆のルルーシュII 叛道』『コードギアス 反逆のルルーシュIII 皇道』を観終えてからの『復活』です。
実はⅡⅢを観て「これは罵詈雑言批評を書くことになる」と嘆息したのですが文字にする時間がなくそのまま『復活』を観ることになってしまいました。
そうなると考えがまったく変わってしまったのでした。
以下ネタバレしますのでご注意を。
思えば先に観た『コードギアス』はもともとテレビ版なのでそのための演出方法もあるのでしょう。
とはいえ私は『泣いた赤鬼』方式に嫌悪感があってむかむかしてしまうのです。『反逆』はまさに「俺一人が犠牲になれば」物語でした。
私がもしリアルタイムで放送を観ていたら大憤慨で終わってしまっていたかもしれませんし今回もそうなる可能性もあったのですがたまたま続けて『復活』を観てしまったのでそのむかつきは短期間で済みました。
レビューを見ると逆に『反逆』で感動したのに『復活』は蛇足ではないか、という真逆の価値観の方も散見されるのですがどんだけ自己犠牲好きなんだよと思わずにいられません。
この『復活』は人気のためにとってつけたわけではなく最初からのシナリオであると私は思っています。
ギアスが『デューン』のヴォイスを思わせると書きましたがふたつはストーリーも似ています。
『デューン』では公爵の後継者ポウル(昔の読者なので)が身分を奪われ庶民のリーダーとなった後宇宙の皇帝になるものの再び砂漠をさまよう後日譚があるのは本作のルルーシュの運命と一致します。(『デューン砂の惑星』に続く『砂漠の救世主』に至る展開という点まで同じ)格調高い物言いにも影響を感じられます。
たぶん作り手は『デューン』をモチーフにしているのでしょうがそれは本当に下敷きに過ぎず本作の魅力は細部にあります。
最も大きな違いはスザクの存在です。『デューン』は大好きなSFですがポウルに同じ年の親友がいないのが私は心残りだったので本作でその望みがかなえられたような喜びはありました。
おもしろいのは『デューン』ではそれほど感じなかった奇跡の復活が『コードギアス』ではっきりと表現されていることです。
罪人として処刑されたのちの復活を描いたのがルルーシュなのです。つまり『救世主』ということなのですね。
リアルタイムで観ていた人たちはどうだったのか。
先に書いたようにこれを「蛇足」と感じた不思議なファンもいるようですが復活するからこその救世主なのです。
『復活のルルーシュ』と明言されているのですから気づいて欲しいものです。
そのへんあまり話し合いはされてないのでしょうか。
これから観ると言われる方は必ずセットでみていただくよう。
『コードギアス』は反逆・復活で一つの物語なのです。