この辺からしっかり再読しなければ、なのでした。
ファーストシーズンにあたる範囲は少年マンガ王道といってもいいのでしょうがここから領域を超えていきます。
ネタバレしますのでご注意を。
巨人の存在が主人公の強敵としての単なる悪役ではなくなっていきます。
謎は増えていくばかりです。いったいこの世界はどうなっているのか。巨人とは何者なのか。なぜエレンは巨人になれるのか。アニ・ライナー・ベルトルトそしてユミルの正体はなんなのか。
さらに言葉を話す猿(?)巨人の出現でそれまでなんとか保たれていた(というべきかわからないけど)バランスが一気に崩されてしまいました。
現実世界に当てはめてしまえば勉強して成人したと思い込んでいた若者が実社会に出てみれば世の中の仕組みは自分には計り知れない狂気に満ちたものだったことが解ってくる。
そしてその仕組みがいかに恐ろしい狂気をはらんだものだとしても自分自身ではどうしようもないことなのだと思い知るのだ。
そしてそれは長い歴史の中で構築されたものでありそうした積み重ねの果てに存在する現在の中で若者たちはもがき苦しまねばならない。
エレンたち仲間は魅力的で私たち読者は自分もその中に加わりたいと願ってしまう。厳しい訓練にも耐え抜き人情も楽しさも知っている愉快な仲間たちだ。
だからこそライナーたちが町を破壊しそこに住む人々を殺害しそしてエレンの母や兵団の仲間たちを何故殺したのか、何の意味があるのかどんな理由があるのかと憎まなければならなくなるのだ。
このパートで注目してしまうのはやはりユミルとクリスタの関係です。
ふたりの物語は後にさらに深くなっていくのですがこの段階では女性二人の関係を深く描いたものとして特筆すべきとだけ思っていました。
今ではもう特別に仲のよい女性二人は「百合」と呼ばれるのが当たり前になってしまいましたが以前少年マンガではほとんど触れられなかった関係と思います。
「男の友情」と賛美されて仲良しの男コンビは数えきれないほど描かれましたが、女二人はいがみ合う関係として描かれてしまうほうがとても多かったのは今思ってもおかしなことです。
それだけ男性作家にとっては女性の心理など価値のないものだったのでしょう。
しかし諌山氏は男性の登場人物以上に女性キャラが多彩です。
そのことだけでもかつての作品よりもエピソードは多くなり膨らむのです。
まあ今となっては話題にもならないことですが。
エルヴィン団長もまたこれまでの少年マンガではあまりいなかった上司ではないでしょうか。
本来なら主人公かそれに次ぐキャラが叫ぶ言葉
「進め」
エルヴィンのイメージはナポレオンなのでしょうか。とはいえ彼はとても華々しいとはいえずただただ苦悩に生きた人に思えます。
エルヴィンの重責を思うと胸が塞ぎます。
この道ではない平和の道がなかったのか、とも思うのですが現在のウクライナを思うとやはりそれは無理なのでしょうか。
アニメセカンドシーズン。OPはもう完璧に落ち着いた風情に。
WITSTUDIOの滑らかな作画が際立っています。
クリスタの可愛い立体起動もよかったです。
いつものミカサとエレンのマフラーシーン。
『輪るピングドラム』が再放送されましたがその中でマフラーのエピソードがありますね。もしや諌山氏はこれを観ていたのでは?とちょっと思いました。
重要な場面で巨人になれず嘆くエレン。そんなときにすかさず励ましてくれるミカサ。現実にはなかなかないですよこんな。
セカンドシーズンは最後もお猿巨人でした。この時この人があーなるとは思いもよらなかったです。