ここまできたあ、というべきなのか、まだまだ地獄が続くと恐れおののくべきなのか。
最初から地獄に入ってしまったと覚悟したはずなのに進めば進むほど血の池地獄の先は針の山と次々に更なる地獄が続いていく。
「巨人を駆逐する」と目を輝かせていたエレンはもういない。どんなに殺しても更なる巨人が出現するばかりなのだ。
しかもここからが本当の地獄だ。
ネタバレしますのでご注意を。
諌山創は次々と問題を我々に突き詰めてくる。あなたならどうすると。
世界は残酷だ。
エルヴィンとアルミン、どちらの命を選ぶのか。
現実にも「命の選択」というワードが登場し差別意識と騒がれたことがあったが実際にその状況になった時自分はどうするのか。そんな時何を考えどう選ぶべきなのか。
物語ではエレンとミカサは躊躇もなく友人アルミンを選んだ。
共に戦ってきたリヴァイがエルヴィンを選択するのは当然なのだがエルヴィンを選ぶことは彼を再び悪魔にすることだとリヴァイは思い直す。
『進撃の巨人』の中で諌山氏は意識的にBL要素を含ませていると感じるけどエルヴィンとリヴァイはその最たるものに違いない。
表面の物語の裏でふたりがどんな交流があったのかはどうぞ考えてください、と諌山氏は仕掛けているようだ。
同じようにエレンとアルミンの深い友情もまた同じである。
リヴァイがエルヴィンを生き返らせずアルミンを選ぶ最後の決め手がエルヴィンの「リヴァイ、ありがとう」の笑顔だというのはふたりの関係がどんなに深いものだったのかを思わせるのだ。
物語はここからさらに恐ろしいエレンの父親グリシャの記録を描写していく。
エルディア人が持つ始祖ユミルの神話は私たちを混乱させる。
この神話はいったいなんなのだろうか。
諌山氏は我々の歴史とこのユミル神話を巧妙に混ぜ合わせて物語を紡いでしまう。
もしかしたら真実の歴史のようにさえ感じてしまうのだ。
実際我々の歴史には「穢れた血」「恐ろしい民族」「劣った国民」などという選別が繰り返し行われてきた。
なので我々は『進撃の巨人』を様々な歴史と民族に当てはめてみようとする。
日本人、韓国人、中国人、ユダヤ人、アメリカ人、ヨーロッパ各国etc
絶対ではないようにも思えるがどれとでも思えてしまうのが本作の罠なのだろう。
なので世界中の人々がこの物語を読んで「自分たちの話だ」と思ってしまうのだ。