ガエル記

散策

『漂流ネットカフェ』押見修造

子連れ狼』読みたさでKindle Unlimited(偶然二か月99円お勧めされ)加入したおかげで出会いました。

 

押見修三氏はテレビアニメ『惡の華』でその内容に衝撃を受けて以来気になって他の作品(といってもそのマンガもまだ読んではいない)も読みたいと思いつつ資金不足で二の足を踏んでいました。

今回運命の導きで出会った作品が『漂流ネットカフェ』だったというのもつい先日まで私が『漂流教室』に夢中になっていた繋がりを感じてしまいました。

押見氏がこんな作品を描いていたというのもまったく知らず。何もかも神の導きと思えます。(いや単なる偶然ですけどね)

 

他の方の感想で「これは『漂流教室』のパクリだとか・・・だから『漂流』ってわざわざ冠つけてますでしょ。

且つ先日観て感激したテレビアニメ『SonnyBoy』はこのマンガから発生したものでは、とも思えました。いやまったく違う内容なのですが「まったく違う内容でいく」というアンサーなのかと思えたのです。

 

そもそも私が未読だった『漂流教室』を読んだきっかけがアニメ『SonnyBoy』でした。あのアニメを観なければ『漂流教室』を読んでいなかったし『漂流教室』を読んでなければ本作品の本質に気づけなかったのではないでしょうか。

 

まず楳図かずお漂流教室』は凄まじい名作です。(以下そのネタバレになります)

小学生の子どもたちと数人の先生と給食のパンを配達していた関谷もろとも一つの小学校がタイムスリップしてはるか未来の荒廃した世界へ飛ばされてしまうのです。

そのショックで先生たちは次々と精神を病み自殺しひとりは生徒を殺そうとして自身が死んでしまうのです。

何もないと思える荒廃した世界の中でたった一人の大人・関谷は子どもたちを支配し僅かな食糧を独占するのです。

襲い掛かる恐怖と飢餓に主人公・翔と子どもたちがどうやって生き延びるかという過酷激烈な作品です。

 

とはいえ最近になってやっと読んだ私にとって関谷の支配はかなり単純なむしろ子供っぽい支配欲に見えます。

その分過酷とはいえまだ読みやすく感じたのですが今この設定でリメイクすれば性的なバイオレンスの描写が続く内容になってしまうのは容易に想像できます。

主人公が小学生であることは性的描写から逃れられる要素にはならないのも今では当然です。

 

そして本作を知らないまま『SonnyBoy』を観た私はかなり驚きました。

(読んだ順番は逆ではあるのですが)現世界と切り離された学校という設定で描写される(と期待される)ものは性と暴力に他ならないだろう、と思われたのですが『SonnyBoy』ではほとんどそうした発想描写がされていなかったからです。

それは楳図かずお漂流教室』が本当に起きた戦争を体験した子どもが体験した大人の暴力に対する恐怖と飢餓の苦しみが反映されていたためにとてもそれ以上のクオリティが描けないと判断したからだと思っていました。

しかしそれだけではなくたぶん本作が描いた漂流もの性暴力からも逸脱しようとされたのではないのでしょうか。

 

もちろん本作の真のテーマは単なる性暴力描写ではないのです。

執拗に繰り返される性暴力はそのまま作者の性に対する苦悩そのものなのです。

が、その性暴力と支配欲はあまりにもありきたりに俗物的でもあって辟易するものでもあります。

それなのに一気に読んでしまわずにいられない過激な引力は確かにありました。

山岸凉子作品が「女性の性の苦悩」であるように押見修造作品は「男性の性の苦悩」であり嫌悪を感じながらもどうしても読まずにはいられないのでしょう。

 

しかしながら押見がこのおぞましい7巻を描き切ってやっと過去の執着を断ち切れたという感慨を私は残念ながらまったく共感できずにいます。

その共感できなさがむしろ読み進めさせたとも言えます。

己の羞恥をよくぞこうも晒し切ったものと感じ入ります。

 

私としては『漂流教室』『漂流ネットカフェ』『SonnyBoy』は三点セットで読み観て欲しい作品です。