ガエル記

散策

『オルフェウスの窓』池田理代子

本作が連載されていた頃、ちょうど愛蔵版の一巻あたりまで読んだきりになっていました。ネットでなんとなく見かけて急に読みたくなり購入爆読した次第です。

 

そもそも私はかつてより池田理代子マンガにはまった口ではなくてあの『ベルサイユのばら』も最近になってやっとまともに読んだ輩でこの歳になってようやく「池田理代子は稀代の作家だ」と恐れ入ったのでした。

とはいえ当時話題だった池田氏の作品は自然目に触れてはいました。あまりにも華麗な絵が逆に私の評価を落としていたのですがそれも含め並大抵の才能ではないことを今頃になって感じています。

 

さて一気に読んだ『オルフェウスの窓』ですが簡単に読み飛ばすことができるような内容ではありません。とはいえ何十年もの時を越えて再会したイザーク・ユリウス・クラウスたちの人生を知った感動を早く書きたくて一度キーを叩きます。

 

 

ネタバレになりますのでご注意を。

 

 

 

なんといっても気になるのは「ユリウス」のキャラクター描写です。

ベルサイユのばら』を知っているならどうしてもオスカルとの相似と差異を考えてしまいます。

容姿はほとんど変わらないといってよい金髪の美形。しかも親によって幼い頃から男性として育てられた少女であり男性の集団の中で男性として存在する設定になっています。

この設定は求められて作られたのでしょうか。

何故そんな疑問を持つかといえば『ベルサイユ』でのオスカルの輝きと比べユリウスの男装はあくまでも毒親によって課せられたもので結果彼女は自分の存在の意味が解らなくなってしまった気の毒な美人としか見えないからです。

彼女は強い意志で男装しているのではなく母親によって男装を強いられその秘密がばれてしまった後も女性に戻ることもなくかといって意識的には自分を女性と認識しクラウスに対して過剰なほどの恋愛感情を露わにし続ける様子は高潔な人格者だったオスカルと比較するとあまりにも憐れです。

 

しかしそれは当然にも思えます。

性差が明確だった時代に男性として生きる矯正は彼女の精神を歪ませ少女期に殺人を犯しその呵責を隠し続けねばならず母親を含め次々の親しい人と死別或いは生き別れなかければならなかった。

愛するクラウスを追いかけて訪れたロシアは苛烈な革命期でありその渦中にいたクラウスに再会するも再び離別となるかもしれないという恐怖から記憶喪失になってしまう、さらに再会したクラウスと幸せな一時期を送るも結局目の前で彼の死を見届けてしまう、という苛烈さです。

故郷に戻ったユリウスをかつてあれほど恋い慕っていたイザークとダーヴィドの態度は冷ややかに見えてしまいますが少女期の輝く魂を持ったユリウスはもういないのです。

 

自ら果敢に生き抜いたオスカルと比べユリウスの男装は人格を歪ませることでしかなかった、とも見えます。

またほかの女性たちの生きざまも悲しい。

本作では音楽家を目指したイザークを中心にして美しいが悲劇のユリウスやロシア革命に挑んだクラウスの人生が描かれる、と表現していいでしょう。

その大筋は男性の描写です。

ベルサイユのばら』で女性の人生を華やかに描いた池田氏はその後に執筆した『オルフェウスの窓』では「女性が自由に生き抜くのは難しい、無理」と結論付けられてしまったのです。

 

同じく男装の麗人として同じく男性たちに愛されたとしながらもその人生がまったく異なったオスカルとユリウス。

そして『オルフェウスの窓』の少年期に比べ大人になるほど疲れ果てしなびていくさまは「リアル」というだけではなくやはり池田理代子氏の人生観なのです。

 

美しく描かれた男らしい男性像と嫋やかな女性像。現在ではこれほどの性差を感じる作品はほとんどないように思えます。

だからこそ「男装の麗人」という存在が際立っていたのです。

男らしさと女らしさが明確に描かれる。そしてその間に揺れ動くユリウスを作者は生かしてはおけなかったのだなと感じました。