ガエル記

散策

『宮廷の諍い女』その12 完結

ついに『宮廷の諍い女』76話まで鑑賞完了しました。

ラストまで素晴らしかったです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

そしてこれも悲しい物語でした。

『如懿伝』を先に観ているので物語が次第に繋がっていくのが解って楽しかったです。

可憐な甄嬛が後のあのニオフル氏になるわけですが本作の最期では本当に甄嬛がニオフル氏になってしまう物凄い演技を見せてもらいました。

スン・リーの演技力は『月に咲く花の如く』ですでに知っていましたが(とはいえ製作は本作のほうが先。どうも時間が逆さまばかりです)本作で改めて(だから逆ですが)堪能しました。

その時間の流れで言えば後のさくひんである『月に咲く花の如く』のスン・リーはめちゃ明るくて本作の上を行く名演技だったと思います。

 

さて『宮廷の諍い女』と『如懿伝』は比較する楽しみが存分にあります。

本作の甄嬛はヒロインが皇帝の弟との純愛を諦め捨てて後宮の争いに身を投じて宿敵(皇帝と皇后)を打ちのめす物語です。

一方『如懿伝』は皇帝自身がヒロインの純愛の相手です。物語の最初強い純愛で結ばれていたふたりが後宮の争いの中で様々な経験をするうちに次第に愛情が歪み崩れていき最後は悲しい心の決別となっていく。物語中で語られた「蘭因絮果」を描いたものになっていました。

つまり甄嬛が愛を捨て争いを求めたのに対し如懿は争いを捨て愛を求めたしかしその愛は消えてしまったという物語でした。

この書き方からもわかるように私はやはり本作より『如懿伝』に共感してしまうのです。

本作で甄嬛はあの修行の山でさっさと果群王と共に逃避行すべきだった。

しかし一点父親の生命が甄嬛にかかっていたためにどうしても後宮へ戻って皇帝の力で父親を救わねばならなかった、という言い訳があるのですね。

でもねえこれ果群王と逃げ出して父親と家族を救うという筋書きもできないわけじゃないですか。

やはりどうしても『後宮の諍い』を描きたいからこその言い訳、としか思えないんですよ。

それは私がどうしても「後宮は嫌だ」と思っているからなのでしょうが。

 

そして本作はある意味流されていく物語でもありました。

甄嬛は最初皇帝との結婚をできる限り避けたいと思っていたのに気のいいおじさんを皇帝と知らずに遭遇にして好きになってしまったことで寵愛の一途をたどってしまう。

しかしその愛情は堅固なものではなかったのだと思い知らされ追い出されて皇帝の弟と深い愛情を育む。その後彼が死んだと思い込んだ甄嬛は囚われの姫君ならぬ父親を救うのは自分だけだと後宮へ戻り皇帝の寵愛を再び受けるがそれからの甄嬛はその寵愛を策略に利用していく。

それからも甄嬛は何度も皇帝から踏みにじられるような思いをする。

最期死に際の皇帝に甄嬛はこれまでの恨みをぶちまける。

 

とても面白かったですがなんだかなあ、というため息をつかずにはおれません。

そして果群王が王子様として出来すぎなのもちょっと気になる。まあほんとの王子様なのでこういう人もいるのかもですが。

 

如懿は最初から最後まで「弘暦に寄り添ってあげたい」という思いだけで耐えた女性でした。しかしその愛情は結局踏みにじられてしまいます。

こういう女性のほうに共感してしまうのもやはり私が日本女性だからでしょうかw

とにかく『宮廷の諍い女』はパワフルで『如懿伝』は重たい悲しさに満ちていました。

 

とか言ってますが、マジで両方とも楽しみました。

これから観る方はどんよりとしたければ『如懿伝』すかっとぶちかましたい方は『宮廷の諍い女』をお勧めします。