ガエル記

散策

『君の名前で僕を呼んで』ルカ・グァダニーノ

美しいポスターです。夏の深い青空にもたれかかっている二人の若者。赤いシャツの少年はその色のとおり純粋で白っぽいシャツの青年は冷めて見える(だけどその中身は)

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

昔だったら飛びついて観ているはずだったこの映画をやっと観る気になったのは私が年取って随分ひねくれてしまったからでしょうか。

あまりにも美しい男性たちのいわばBLものという触れ込みに変な抵抗を感じてしまったのでした。

(あと実を言うとうっかり町山氏の評でこのタイトルの再現を見てしまって気持ち悪くなるというアクシデントが起きてしまった)

 

そういう反抗期がやっと終わったのかやっと観たい気持ちが生じてきました。

 

結果とても素晴らしい映画でした。反抗などする必要は微塵もなかったのです。

 

極めて現代的な設定構成でした。

 

昔であれば主人公はオリヴァーで異国で出会った美少年に惹かれつれない態度に焦燥しやがてそれは杞憂だったと解り結ばれでも自分の中で長く培われた同性愛への禁忌に打ちひしがれて別れを選ぶという筋書きであったでしょうし、もしくは青年に恋した美少年が彼の冷たい態度に苦しむが最後に実は彼も少年を好きだったのに(一度体は結ばれたとしてもそれは気の迷いと言われ)どうしても本心を言えないままだった、というような展開でどちらかが死んでしまう結末になってしまうのではないでしょうか。

 

本作もまた設定時代は昔です。

時代は1980年代で同性愛を大っぴらにはできない時期だった物語を現在の感覚でもう一度描きなおした、と言っていいのではないでしょうか。

この映画ではイタリア人でたぶん初めて同性に惹かれ恋をする少年が主人公です。しかし彼の家族は学者でもあり非常にオープンでフレキシブルな感覚を持っています。そのため息子である彼も同性愛に対する抵抗や嫌悪感がほとんど生じていないのが解ります。

一方アメリカ人青年はほぼ主人公少年エリオの目を通して描かれていくので行動は見えても心理はそのまま描写されません。なので彼がどう考えていたのかは後半になって彼が語るまでを待たねばなりません。しかし以前の多くの映画では隠されたままになっていただろう青年の気持ちがここでは明らかにされます。

実際は少年以上にアメリカ青年オリヴァーのほうが彼に恋い焦がれていたのです。

しかしイタリアよりもアメリカでの同性愛への禁忌は強かったと思われます。事実オリヴァーは「君の家族が羨ましい。僕なら矯正施設に入れられていた」と述べていて彼の少年期の状況を想像させられます。

オリヴァーの非常に自尊心が高く高慢に見える態度も本来の自分を隠すための技術だったのではないでしょうか。実際の彼は繊細で神経質な脆さを持っているのが垣間見えます。例えば自転車のハンドルやサドルを何度も拭き取るしぐさやメイドの女性に話しかけた時彼女が驚いたのを酷くきまり悪そうにする表情などにそれが現れています。

そしてオリヴァーは打ち明けます。

「今ぼくがどんなに幸福か君にはわからないだろう」

言われたエリオはほとんどきょとんとして的外れな返事をしますが自分よりずっと年上で尊大な態度のオリヴァーが実はずっとびくびくと怯えていたのかなどとは想像もつかなかったに違いありません。

登場した当初は横着にさえ見えたオリヴァーは心細げな微笑みを浮かべる青年だったのです。

 

しかし夏は終わりました。

それはいつか終わるのです。

 

オリヴァーと別れ傷心の息子エリオを慰める父親の言葉。言葉で説明するのは映画としてどうなのかという場合もありますが本作ではこの説明は必要だったと思います。

そして父もまたエリオと同じ思いを持ちえたのにそれを手放したのであろうかつてがあったことがわかりました。

 

人間にとって幸福な記憶というのは一瞬なのであってそれが永遠なのだというのは真実なのでしょう。

 

ラスト母親の優しい呼び声に微笑むエリオ。

オリヴァーとの幸福もそれを失った悲しみもエリオの大切な記憶なのです。