なんだかいろいろなことを観たり聞いたりしているのですがこれということを語れるほどでもなく日々が過ぎています。
そんな時にはこれに限ります。
『銀河英雄伝説』むろん私は昔の奴です。
ヤン・ウェンリーを観て富山敬氏の声を聞いているだけで癒されます。
こうした戦争ものを観ているのが一番の娯楽というのはどういう理由なのかといつも疑問ではあるのですが。単に年齢、というかジェネレーションのせいなのかもですが。
同時に大木毅著『独ソ戦』とアレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』を読んでいるところです。
『戦争は女の顔をしていない』は恐ろしい本です。
自分自身は女性なのにどうしても男性たちが描いてきた戦争ものに慣れ親しんできました。『銀英伝』を楽しんでいても実際自分が経験するのはジェシカでもフレデリカでもましてやアンネローゼでもマリンドルフでもなく逃げ惑い恐れおののき名もなく死んでいく誰かにしかすぎません。
『戦争は女の顔をしていない』には女性の著者によってこれまで語られることのなかった戦争期における一般の女性たちの証言が集められています。
その行動を起こす際に男性たちから「女性たちから真実を語られることはなくあらゆる嘘があなたに告げられるだろう」と諫められたと著者は記しています。
この言葉はいったいどういう意味なのか。
先日読んだ逸話で「戦時中日本人開拓者たちが満州から逃げのびるために若い女性たちをソ連兵に差し出し性行為をさせた。後年その記録本が作られた時その部分が削られているのを当の女性たちが問いただすと男性たちは「不名誉なことだから慮って削除した」と答えた」というものがありました。
こうして一般の女性たちの声は消されていくのでしょう。
女性たちの戦いと意志は男性にとって都合が悪ければ「虚偽」として消されてしまうものだったのです。
女性たちの声を聞くのは辛いことですが聞かなければならないのです。
こうした作品がもっと大きな形にならなければいけないとも感じます。