ガエル記

散策

『戦争は女の顔をしていない』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (著), 三浦 みどり (翻訳)

これは読まなければ、と思っていた本で読んでみて確かに良かったと感じました。
驚きだったのは著者がこの聞き取りをする際に男性ジャーナリストたちから「女性たちは嘘の証言ばかりするに決まっている」と言われ続け実際の聞き取りの中でも当の女性の夫が間に入って「つまらないことを言わないように」と釘をさしてくる話でした。
何故女性たちは嘘をつくものだ、くだらない話をするものだ、という思い込みがあるのでしょうか。
しかし自分は女性であるために忘れてしまっているだけかもしれません。
先だってのオリンピックの際に森元総理が「女性のいる会議は長引くから」という発言をした時も何故そんな発想があるのか不思議だったのですが年齢の高い男性ほど同意なのかもしれないのです。
かつてはよく「井戸端会議」と称して「女は意味のないおしゃべりを延々し続ける」と揶揄したものでした。それが日常のことならまだしも男が命懸けで行った戦争について女が妄想を話しだしては迷惑だということなのです。
しかもソ連において女性は銃後の守りに限らず百万人を超える女性たちが従軍したのですからその話は戦地での話になっていくのです。
が逆に同じ戦友であるにもかかわらず女性であるというだけでその口を閉ざさせようというのはなんとも理不尽です。やはり共産主義とはいってもイコール男女平等はあり得ないのだと解ります。
であっても当時のソ連の女性たちはこぞって従軍を志願したのでした。
 
そして戦後に再び理不尽が起こります。
従軍した女性たちは同じ女性たちからは「戦地で男たちと上手くやっていたのでしょ」と謗られ男性たちからは女性として見られず結婚相手に選ばれにくいという境遇に甘んじなければならないのです。
 
従軍した女性たちはごく若い10代の少女たちが多い印象です。
そんな少女たちは戦争が好きだったわけじゃなくごく普通に恋や結婚に憧れ幸せな生活を望んでいるにすぎません。
綺麗なスカートをはいてお洒落をしておいしいお菓子を食べたい女の子たちなのです。
 
 
この本が証言を集めた本であるからこそ読めたように思えます。
もしこの証言をもとに作った小説だったらこんな風には読めなかった。あまりにも恐ろしい。悲しく辛い。国を愛し家族を愛し恋を夢見ている少女たちはまじめであるがゆえに従軍を志願してしまう。
こんな事態を作ってはいけないのだと改めて思わされました。
 
10代の子どもたちにこんな思いをさせてはいけない。
学んで遊んで幸福になることこそ彼女たちそして彼たちが求めるべきものであり大人が守ってあげるべきものです。
 
しかしこの本の中に書かれているソ連は今まさに戦争をしているロシアとウクライナ他諸国で成り立っていたわけです。
(著者アレクシエーヴィチ自身はウクライナ生まれでベラルーシの父とウクライナの母と記されています)
こんな思いが綴られた国でなぜまた戦争が起きてしまったのか。
人間の闇を感じてしまいます。
 
戦争を放棄してほしい。
戦争はあまりにも虚しいものでしかないではありませんか。
なぜこんな思いをしながらまだ武器を捨てきれないのか。
銀河英雄伝説』を観たり『チェンソーマン』を読んだりしながらどうしてこんな理不尽な残酷が存在してしまうのか、とばかり思ってしまいます。
 
 
今回の読書でを利用しました。