レンタルで鑑賞しました。秋葉原無差別殺傷事件をモチーフにした映画作品です。
記憶に残る事件でした。私でさえも事件にかかわる記事を幾つか目にしてはいたので犯人を描いた本作の主人公がそれをイメージしているのは伝わりました。
ネタバレしますのでご注意を。
本作を観たのは今回初めてで映画公開からすでに9年も経っています。事件からは14年経っていて今年の夏犯人の死刑が執行されていたのは記憶に残っていませんでした。
本作を観てすぐに連想したのは映画『ジョーカー』です。
もちろん本作のほうが『ジョーカー』よりずっと前に映画公開されているのですからトッド・フィリップス監督が参考にしたのではないかとさえ考えてしまいました。しかも『ジョーカー』の元ネタとされている『タクシードライバー』のオマージュともいえる裸に拳銃スタイルを踏襲しているのですが日本なので拳銃ではなくナイフです。
しかし本作で一番怖ろしくおぞましいキャラは彼ではなく同僚の「岡田」です。
本作で大森監督はまたも観客を迷わせてしまうのですがその一番がこの「岡田」の存在なのではないでしょうか。
大森監督はなぜ本作に「岡田」を仕込んできたのでしょう。
現実の犯人がどうだったかはわかりませんが本作において主人公・梶は嫌な人間性だとはいえとりあえず「不細工な顔」の恨みをネットでの愚痴で晴らしていました。それを最期爆発してしまう、手前で映画は終わります。つまり映画の中では彼は何もしていない。
しかし「岡田」は実は岡田ではなく「黒岩」という人物でした。「岡田」は優れたスピードスケーターというだけで黒岩に殺された青年でした。
スピードスケートでどうしても勝てない、という焦燥感で黒岩は岡田を衝動的に殺し、その後なぜか「岡田」という名前を名乗って生きていきます。そして次々と女を虐待レイプし殺しては埋めるという行動を繰り返すのです。
大森監督は一気に殺人を犯した犯人とこの「岡田=黒岩」のように次々と女性を苦しめては殺す男とどちらが悪いのか、と問いたいのでしょうか。
むろん答えは「どちらも悪い」のです。
そしてもうひとり「田中」が登場します。
突然ぶっ倒れてしまう、という病気を持った彼は不細工で小心者という梶との共通点を持った人物として比較対象となります。
梶と田中は負け組同志という認識で仲良くなっていきます。
ふたりが友情を結んですごす時間は楽しくてこのままであればいいのに、と思ってしまうのですがこの中からもふたりの差異が現れてきます。
ふたりの前にふたりが憧れる美貌を持つ若い女性が登場し彼女は田中を選ぶのですがこの選択が正解なのは一目瞭然でした。
ここからの梶の言動で彼の正体がばれていきます。
女性が現れた時点で彼女を助けようとするよりも「これは巡ってきた性交のチャンス」とする時点で彼の思考は「岡田=黒岩」とまったく変わりません。
梶は結局人良い友人田中よりも女性をレイプし殺す「岡田=黒岩」を道連れに選ぶのです。
「うわべだけの友だち」「ことばだけの友だち」と梶は書きますがそれはまさに自分自身のことなのです。
もしここで梶が田中を選ぶことができていたら。
梶が選び間違えたのは「彼女か田中か」ではなく「黒岩か田中か」だったのです。
梶は黒岩を選びました。
本作が「秋葉原無差別殺傷事件」を題材にしてその犯人を描いた作品としてどこに焦点を当てるのかは監督の志向であり嗜好となるでしょう。
犯人がどうしてこんな人格になったのかを描きたいのであれば彼の家族との関り教育成長に焦点を当てるべきなのでしょうけど大森監督はあまりそこに関心がないのでしょう。
彼の作品では登場する男たちの関係性によりよく興味が注がれます。
どうしてそういう人間になったのか、よりもそうなってしまった男たちの関係性に監督は興味があるのだと思えます。
それは監督の方向性で私はその描き方もまた面白いと思います。