ガエル記

散策

『LAMB ラム』バルディミール・ヨハンソン

とても面白く良い映画見つけてよかった。

なんとなく迷っていたのですが観始めたら止めることなく観てしまいました。

 

アマゾンプライムにて鑑賞。

ネタバレしますのでご注意を。

 

ポスターに写っているマリアという女性が優し気に子羊を抱いている、という図はそれほどキリスト教に詳しくなくても連想できるものです。

場所はアイスランドの牧場、お隣さんなどの姿もなく一組の中年夫婦だけが広大な牧場で羊を飼って暮らしている。

ふたりには娘がいたようなのだが幼い頃に死なせてしまい傷心のまま日々の仕事に追われている。

そんなある日羊たちの出産が続く中に奇妙な姿の子が生まれた。

 

様々な比喩を含んだ作品で明確な言及がなされることはないので観る者が解釈をしていかねばならない。

果たしてこの「奇妙な姿の子ども」は何者なのだろうか。

 

キリスト教では「子羊」はクリスチャンそのもの或いは人間そのものを意味しているでしょう。

キリストは馬小屋で生まれたのだがこの子供は羊小屋で生まれる。

マリア夫妻はこの子供を我が子として育て始める。つけられた名前は「アダ」死んでしまった娘の名前を付けたのだがこれは最初の人間である「アダム」を連想させる。

 

しかしマリアは本当の母親である雌羊がアダを気にしてまとわりつくのが煩わしく雌羊を殺してしまうという罪を犯す。

夫婦は授かった子ども「アダ」を愛情深く育てていくがある日夫インクヴァルの弟ペートゥルがやってきてアダの存在に疑問を持つ。

マリアは言い寄ってくるペートゥルを追い出してしまうのだがその間に「成人した羊男」が登場してインクヴァルを撃ち殺すのだ。

 

他の方のレビューを見るとこの羊男を「悪魔」だと解釈しているのが多かったのですが私には羊男は悪魔に思えませんでした。悪魔は羊ではなくヤギだから、というのもありますが。むしろ羊男は「神」そのものなのではないのでしょうか。

明らかに罪を犯したのはマリア・インクヴァル夫妻だからです。

しかもどうやらマリアは妊娠しているらしい。

もし本当の子どもが生まれたら身勝手なマリア夫妻が今度は「アダ」をどうするのか?私にはふたりがそのままアダを育てていくとは思えません。アダの母親をあっさり殺してしまうような人間です。

 

羊男がアダを取り戻したのは当然だと思います。

羊男をギリシャ神話になぞらえているのも散見されましたがそれよりも羊男もまたアダのように生まれそして「捨てられた」のではないでしょうか。

 

いくら子供が欲しかったとはいえ母羊から勝手に子供を奪ってしまい邪魔な母羊を殺したのなら父親に撃ち殺されてしまうのは当然です。

 

マリア夫妻には幸福な判断をしてほしかった。

マリアが母羊を殺してしまいそれを黙っているのは「カインの罪」を思わせます。

アダを可愛がって母羊も可愛がって欲しかった。

でも人間は独り占めしてしまいたい欲望が強すぎるのです。

やはり共産主義は無理ってことでもありますね。