ガエル記

散策

劇場版『Gのレコンギスタ V』「死線を越えて」

やっとラストまで鑑賞できました。

 

しかし逆にTV版を最初から観なおしたくなったw

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

富野監督によるガンダムの集大成でありつつガンダムへの抗議でもあるのですがやはり大人への憎悪は同じ。

 

ファーストガンダム世代の私たちにとってファーストガンダムの呪いはあまりにも強すぎる。

岡田斗司夫氏でさえ『ファーストガンダム』しか認めないとか言っているのですが時代によって作品が変わっていくのは当たり前のことです。

本作の主人公ベルリがアムロに対するカウンターなのは勿論作品設定のもろもろがファーストの逆を描いていると思えます。

絵柄自体どこか重みと哀愁のある安彦良和氏のキャラデザインとは違い可愛く明るい吉田健一デザインは軽妙な未来を感じさせます。

と書くと富野監督が安彦デザインを否定しているかのようですがそんなことは決してないと思います。

ところで安彦良和氏の『ガンダムオリジン』最終巻を最近やっと読んだのですがラストで奇妙なデジャビュになって困りました。読んだことがあるような変な気持ちになったのです。

それが今回本作を観て「あー」と謎が解けたのです。

ガンダムオリジン』ではアムロたちが日本旅行をしているのですがそれが『Gレコ』のラストと妙にかぶってるように感じられたのです。

実際にはほとんど似てはいないのですがw主人公が戦い終わって地球を旅する、というイメージが共通して感じられたのでした。

しかも追加映像では砂漠でノレドと再会しますが『オリジン』では鳥取砂丘アムロとフラウが再会します。ここは似ていると言ってもいいでしょう。

『オリジン』ラストは2014年連載で『Gレコ』放送最期は2015年となるとこの共通点は示し合わせたのか偶然かはたまた富野監督が安彦『オリジン』を読んで影響を受けたのか。

偶然、というのが当たりだとは思いますが、私としては嬉しい偶然でした。

 

『Gレコ』何度も書いた気がしますが放送直後は賛否両論で「つまらない」と言い放つ有名人の声もあったのですが何度観ても面白いと思います。

確かに新しいタイプの作品なので古い勧善懲悪的な明確な設定がないと読み込めない旧型の人たちにはわかりにくいのかもしれません。

例えばルインの「クンタラ」などは食用人肉などという怖ろしい設定なのに特にその描写がないのは「そうした過去の怨念」をルインが降り切れるかどうかを描こうとしているからだと思えます。

ルインは優れた才能を持ち容姿端麗でマスクを着けていることからでも容易に「シャア」の立ち位置だと解ります。

シャアは類まれな逸材だったのに親の仇特に母親への執着から人生を捨ててしまったと言えます。

だからこそ逸材になり得たのかもしれませんが。

シャアがルインのようにある時期にその怨念を捨てることができたのなら。もしかしたらララァを失わずにすんだのかもしれません。

そしてその損失はあまりにも重いものでした。

本作のルインはシャアを戒めとしての存在といえます。

しかしキャラ立ちとしてはその分軽く小さくなってしまうという欠点もあります。

どうしてもキャラクターというのは極端な方が面白いのですね。

 

そういうわけでベルリもアムロのような存在にはなりえません。

しかしそれで良いのです。

人間はキャラクターを立てるために存在するのではないのです。

しかしお母さんは面白くなりました。

 

フラウはアムロを諦めなくてはならなかったけどノレドはあきらめません。

それもまた良いことです。

 

人間はキャラを立てるためではなく幸福になるために生きているのです。