ホアキン・フェニックス主演で観始めたのですが今一番気になっている「疑似家族」ものだったので座りなおして鑑賞しました。
かつて家族映画は多くありその中で「仕事をして稼ぐ強い父親・食事を用意し掃除洗濯をする優しい母親・父を尊敬し母の愛情に感謝する子ども」という姿が描かれてきました。
が、その理想の家族像は虚偽でしかないことに気づき始めた人々は家族物語から離れ描いても権威主義の父親・絶望する母親・反抗する子どもたちという姿を表現しました。
家族の姿をまったく描かない、という手法も最近は多くなっていました。
その中で少しずつ新しい形の家族物語が描かれてきています。
その形はもうかつての一組の男女が結婚し夫と妻となりやがて子供が生まれ父と母となるというものではなくなっています。
疑似家族であっても男が夫そして父親役として金を稼ぎ女が妻・母親役として家事をするという形はあり得ない。それは単なるかつての「家族の形」の移し替えに過ぎないからです。
家族のの形が虚偽だと知ったのに再びその形の疑似をしても仕方ないのです。
さて本作はそうした「疑似家族」の実験のひとつです。
主人公はシングルマザーである妹から一人息子つまり主人公にとっての甥っ子を預かります。
主人公男は一時期の育児など簡単だと思っていたのですが「実際の子ども」は思ったようにはいきません。
まったく思ったようにはいかないのです。
男はまさに精魂尽き果ててしまうのです。
愛を手に入れるのは難しい。
それは暴力でも金銀でも叶うものではなく毎日の思いやりの積み重ねでしかできないことだから。
快楽コンテンツは「してもらう」ことしか描かないけどすべての人間がそうであれば「愛」は育たない。