私が観たのはDVDではなくwowowオンデマンドですが。
映画好きなら自分の『ストーリー・オブ・フィルム』を作ってみたくなるのではないでしょうか。
私もそれなりに作れるのではないかと自負しますw
しかしこの落ち着いた語り口で次々と素晴らしい映画そしてそれとつながる過去映画や新しい作品を紹介していく思い入れと技術に感心し憧れます。
映画を観続けていくと次第にそれらがつながり一つの世界を作り上げていく。
製作国が違い年代が違いクオリティが違ってもどこかでつながっていくのだ。
それはテーマでもいいしヒーロー・ヒロインの形でもいいしジャンルでもいい。
この映画のように多岐に渡らなくても自分の好きな映画を紡ぐだけでもいい。
私なら何を選ぶのだろう。
勿論それらは自分自身の歴史と重なるしかない。
私の幼い頃の映画はテレビで観るアメリカ映画がほとんどだった。ジョン・ウェインの西部劇、マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、エリザベス・テイラーから始まった。それらは私が選んだというより必然的に観てしまったテレビ放送映画だ。
その後意識して観始めたのはポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、アル・パチーノなどのニューシネマ、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、なんだか男性俳優が目立つ。
私にとって最も印象的だったのはどうしてもこの時代のアメリカ映画になってしまう気がする。
特に『カッコーの巣の上で』『タクシー・ドライバー』『時計仕掛けのオレンジ』は今なお一層愛してしまう傑作だと思う。
日本映画にはほとんど興味を持てなかったけどその気持ちを覆したのが黒澤明監督作品だ。
なんと私にとってクロサワはアメリカ映画の後に好きになった映画監督だった。なぜかテレビでは放送されていなかったのだ。確か自分が高校生くらいの時に初めてテレビ放送された黒澤映画特集で一発で好きになった。
しかしアメリカ映画が先で黒澤や他の日本人名監督作品は随分後になって観た、というのも変な話なのだけどそれはそれでよかったのかもしれない。
とはいえそのせいもあってやはり感覚的にアメリカ映画のほうが観やすく感じるし日本映画がどうしてもかったるくて観るのが辛い、のは誰もが思うことなのだろうか。
しかし黒澤監督作品のおかげでやっと私も日本映画に興味ができてその後はいろいろと探し始めた。時代順めちゃくちゃだけど実相寺昭雄、溝口健二、寺山修司、黒沢清、塚本晋也、増村保造、他にもいろいろ楽しめるクリエイターが自国にいるのは嬉しい。
それでも、やはり実写映画に関しては外国の映画のほうがどうしても惹かれてしまう。
実写と書いたのはもちろんアニメ作品になればその限りではないからだ。
これも記憶の影響があるのだろうか。
アニメに関してはアメリカ製より日本製アニメがより好きだった。
(といっても『チキチキマシン猛レース』が好きすぎたけど。なぜあんなに好きだったのか。今でもケンケンは好きだ)
やはり幼い頃の決定は強固だということなのか。
今でも日本のアニメ製作者たちは素晴らしいが日本の多くの実写映画製作陣はあまりにも魅力がないと判断してしまう。
それは長い間の刷り込みのせいなのか。ほんとうに正しい評価なのか。
それはもう解らないが私はそういう価値判断を持っている。