ガエル記

散策

『ブレイキング・バッド』シーズン1からもう一度 その14

最終章シーズン5も半ば。

世界が壊れていく。

日本語吹き替えで観ているのだがジェシーがウォルターのことを「先生」と呼ぶたびに胸が痛む。

 

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

 

そして私にとって一番いやな場面。ウォルターがマイクを撃ち殺す場面。

とはいえマイクもまた悪人であるには違いない。因果応報。このドラマでは自業自得と言っているけどやはり私には「因果応報」という言葉がぴんとくる。

 

この製作者がどういう思想なのか知らないけど凄く仏教的なものを感じてしまう。

だから日本人にも人気が出ているのでは、とさえ思ったりする。

 

ちらりと仏教について検索してみればますますその思いが強くなった。

ブッダはすべての人と付き合えというのではなく「付き合ってはいけない人」を4つ挙げていてその一つが「言葉だけの人=行動が伴わず、口先だけの人。「あのときは、ああしてあげた」と過去のことを恩に着せて、友情を装う人」と言っている。

これはまさにウォルターのことではないか。

そしてウォルターはマイクにもジェシーにもスカイラーにも恩を着せて礼を言わせようとする。

 

他の3つは「なんでも取っていく人」「甘言を語る人」「遊蕩の人=飲酒・ギャンブル・麻薬に溺れる人」となっていてまったくこのドラマのことじゃないかと思ってしまう。

仏教の基本である「一切皆苦―人生は思い通りにならない」なんてそのまんまだ。

ウォルターの願いは家族から愛されたい尊敬されたいということだったのは真実だったのだろう。

ただその手段の選択は間違ったものだった。

 

ジェシーもまた「家族に愛されたい」というのが望みだったのだ。ジェシーの場合は自分の家族を見つけ築くことであり彼の場合はかなり上手くやれそうなのに最後に奪われてしまう。