ネットフリックス期間が終わってやっとこれまで溜まってた作品に取り掛かれる。
まずは本作『推しの子』原作は殆ど未読です(つまり少しだけ見た)今のところはアニメを楽しみたくて未読のまま行くつもりですが。
第三話まで鑑賞。
レビューも見ましたが多くの意見通り私も一話から引き込まれてしまいました。
「夢の世界」「憧れの世界」といわれてきた「芸能界」という場所。いやこれまでだって何度もそのおどろおどろしくおぞましい裏の実情は伝えられてきたものの何故か誰もがそれらの告発告白は無視して無いことにしてきたように思われます。
マンガやアニメのような子どもが読む観るコンテンツではそうした闇の部分はあまり語られずに来たのではないのでしょうか。昨今も人気のアイドルアニメはかなりの数作られていますがその中でこうした「芸能界の闇」はどのくらい描かれているのでしょうか。
この作品は決して「今まで誰も知らなかった実態」を暴き出したものではなく「今まで多くの人がそうだと知っていたのに黙ったままでやり過ごしてきた実態」を認識させるために描かれているように思えます。たぶんこれまで描こうとしたクリエイターはいたのかもしれませんが潰されてきたのでは、と想像します。
というのは先だって宗教二世の人が実情を描いていた連載漫画が途中で打ち切りになってしまった事件がありましたよね。
同じように「芸能界の闇」を子供向けに描いてもらっては困る。彼らはこれから芸能界で生贄となる素材なのだからそうした子どもたちに真実を教えられては困るからです。
同じように様々な実社会で闇の部分おぞましい状態があるのに知らんぷりがされている。これからこうした闇の部分を暴いていく作品が次々と描かれていくのではないのだろうか、と考えています。
楽しみにしているデイブフロムチャンネルのアリさんが「モレク」について語ってくれています。これこそが現在にまで続く人類の闇に思えます。
要約してしまうと
「古代モレク神に幼子を殺して捧げるという残酷な儀式を繰り返し行っていた人々がいた。我々はそんな古代の生贄の風習を聞くと「古代人は知識がなく信じられないほどのおぞましい儀式をやっていた。我々はそんな非人道的なことは絶対できない」と侮蔑するが実際現代のわれわれの社会にはもっと怖ろしい多くの生贄の儀式(=モレク)が存在するではないか」
ということです。
『推しの子』で描かれているそしてこれから描かれるであろう内容はまさにこの〝モレク”=社会のために捧げられる幼子の生贄そのものに思えます。
世界中にいわばアイドルは存在しているでしょうが日本社会は特に「子ども(10代)のアイドル」を求め消費していきます。そのことがアイドルとなってしまった人たちの人生を歪め時には殺してしまうことがあっても「多少の犠牲は出てしまうよね」という暗黙の了解的なノリで片づけてしまってきていました。
今もそのノリは殆ど変わらずというより一層ひどくなってきている場合もあるかもしれません。
『推しの子』は原作もまだ継続中のようです。アニメ化もあってますますその評価も高まり注目もされていくでしょう。果たして作品は最後まで完走できるでしょうか。心配もあります。
同時にジャニーズ喜多川氏への告発があり映画界でのさまざまなハラスメントとそれによる自殺などの事件も報道されてもいます。
広げて言えば学校内での「いじめ問題」をいつまでたっても解決しない(させない?)日本社会はあらゆる場所でモレクが行われているように思えてなりません。あらゆる場所で「生贄」をささげることで安定を図っているとしか思えないからです。
日本人はおとなしくて平安で事を荒立てないと自負していますがそれはあちこちでいわば生贄を捧げているから成り立っているだけではないのでしょうか。
「少しだけ誰かを犠牲にすることで安らぎのある社会になっているのだからそれでいいじゃないか」
というシステムは本当に良いものなのか。
『推しの子』はそんな日本社会に疑問を投じてくれていますが私たちはこの疑問を今回もないことにしてしまうのでしょうか。