この表紙すっごく怖い。
先日横山氏はホラーミステリー作家の道もあったと書いたんだけど、ここにそ片鱗が見える。
落鳳坡のタイトルと龐統の道号「鳳雛」を重ねればその恐怖の謎は解ける。
ネタバレしますのでご注意を。
冒頭で張松が死す。もうはっきり言って『三国志』で一番ショックだったかも。(知らないし)
史実でもここで斬られてしまってるからどうしようもない。賢者であったが惜しむらくはここでの玄徳(孔明)の本来の目的に気づかなかった、ということですか。
そしてここから次なる悲劇が近づいてくる。
ようやく玄徳が蜀征伐を決意し龐統が軍師として活躍し始める。
騙し打ちをしようと近づいてきた劉璋の将を逆に討ちとり涪水関を占領したのだ。
劉璋は怖じ気づきながらも四人の将に五万の兵を与え雒県に向かわせた。
その途中彼らは錦屏山に在る紫虚上人に勝敗を占ってもらおうと寄り道をする。
その占いが蜀の運命よりも気になる言葉があった。(私としては)「鄒鳳地に落ち、臥龍天に昇る」という部分だ。これは彼らに言うよりも玄徳宛なのでは。
劉璋の四将は雒城だけでなく前方の山間にも陣を作り玄徳軍を防ぐ構えを見せた。
玄徳はこの新たな陣を奪い取る者を募る。名乗り上げたのは老将黄忠と「老将軍には難しい」と言い出した魏延であった。
龐統は「二人に競わせては」と助言しながらも玄徳にも後陣につくことを勧める。玄徳は自分の養子劉封と関羽の養子関平を伴って後を追う。
果たして。
魏延は黄忠の裏をかいて手柄をあげようとして失敗し黄忠老将軍に命を助けられる羽目になる。「黄忠ここにあり。ひるむな魏延」かっこいい老将軍。
しかも後から追いかけてきた玄徳は空になった敵陣を奪い取ってしまう。
恥をかいた魏延もまた逃げてきた冷苞を捕え大満足で陣に戻った。
玄徳が「免死」の旗を立てることで蜀の兵は続々と降伏してきた。玄徳は故郷に帰りたい者はこれを許し玄徳軍に加わりたい者は受け入れた。
第一戦は玄徳軍の大勝であった。
黄忠・龐統は魏延の処刑を望んだが玄徳は哀れに思い魏延に黄忠への謝罪を二度させることと敵の将を生け捕ったことで許したのだ。さらに玄徳は黄忠の働きを褒め讃え恩賞を約束した。
魏延の顔がwwwww
龐統は「見事な裁き」と感心した。
しかも玄徳は冷苞を許して雒城の者を説き伏せよと言って戻したのだ。
冷苞は雒城に戻るが玄徳との約束を守るつもりはなかった。
それどころか援軍と共にさらなる攻撃を考案した。
黄忠・魏延が守ることになった陣は低地にある。涪江の堤防を決潰させれば水底に沈むというのだ。五千の兵で鋤鍬部隊を作り準備を始めた。
ここで龐統に奇妙な客が訪れる。なんだか以前の龐統みたいな風貌の男である。
法正に尋ねるとその男は永年と言って蜀の名士だったが主君劉璋をあまり強く諫めすぎて官職をはがれ奴の仲間に落とされたというのだ。
豪雨の中冷苞は鋤鍬部隊を出動させたがすでに報告を受けていた魏延は冷苞を再び生け捕りにする。
冷苞は首を刎ねられた。
荊州はしごく無事と言う。そして孔明からの手紙を玄徳に渡す。玄徳がその手紙を受け取る様子を見て龐統は玄徳の孔明への信頼を感じ羨ましく思った。
(ここ、吉川英治版で玄徳が孔明の手紙を見て「あらなつかしやの文字」とか言ってじっくり読んでいるので龐統は嫉妬する、となっていた。文字というだけにも孔明への好意が感じられる。そもそも玄徳は龐統その人自身に惚れ込んではいなかったけど孔明には最初からのめり込んでいるし。辛いよな龐統)
しかもここで玄徳は一度荊州へ戻って孔明とよく協議してみたいと思う、と言い出すのだ。これは龐統にとってつらいよ。年齢は同じくらいなのにもかかわらず孔明の方がずっと重い価値を感じられている、と思い知らされたのだ。
龐統は蜀で大成功を収めてしまいそうな自分に対して孔明が妬んでいるのではないかと思ってしまったのだ。
この言葉は真実だったのか。なんか龐統の顔が嘘ついてる顔になってる。
この言葉を聞いた玄徳は無理強いして荊州へは帰らず龐統の意見を聞く。
法正からも秘密路を教えられる。
描写はないけど玄徳、龐統の心理も汲み取ってあげたのかしらん。優しい人だもんなあ。
が、運命は進む。
翌日玄徳は軍を二つに分けて進もうとするが、その出発時龐統の馬が暴れ出して乗り手は落馬してしまう。
玄徳は心配し自分の馬を龐統に与えたのだ。
龐統は魏延の軍と共に北の路を、玄徳は黄忠軍と南の路を進んだ。
ここで出てきたのが張任である。
が張任は玄徳の馬に乗った龐統を玄徳自身だと思い攻撃を仕掛けてきたのだ。見事な白馬にまたがった姿に間違いないと考えた。
険しい道を進み龐統はこの土地の名を問う。答えは「落鳳坡」だった。道号を鳳雛という龐統はその名前に不吉なものを感じた。「鳳が落ちる」とは。
龐統が「止まれ」と合図した時張任は兵たちに一斉に狙い撃ちを命じた。
龐統は馬もろとも全身に矢を浴びて死んだのだ。三十六歳の若さであった。
玄徳を倒したと見た張任軍はどっと攻撃を始めた。荊州軍は浮き立ち大勢が崖から落ちていく。前を行っていた魏延は援護に戻ったが岩を落とされやむなく雒城へと進んだ。魏延軍はあわやとなるもまた黄忠軍の到着で救われた。
とはいえ今回は蜀軍の有利。玄徳は涪城へと引き上げた。
城に戻って玄徳は龐統の姿が見えないと気づく。
そして龐統の死を知らされ慟哭した。
関平・魏延は弔い合戦を言い出すが玄徳はこれを否定した。そして孔明に蜀へ来るようにと関を走らせた。
七夕の夜、孔明は破軍星が流れたのを見る。そして諸侯に数日内に凶報が来ると予言した。
龐統の死を知り孔明は「稀世の才能を抱いたまま死んでしまったか」と嘆く。「だが悲しんではおられぬ。我が君の窮地を救わねば」
ううむ。龐統と孔明の違いを感じさせる。孔明は微塵も嫉妬などしてなかったと思うんよなあ。それほど玄徳とのつながりを信頼していたはずなんだから。心底龐統に期待してたんだと思うよ。そして私は孔明の嫉妬は関羽に対してではと勘ぐったりする。
ううう。これが永遠の別れになるとは。
孔明、ほんとうに関羽じゃなきゃいけなかったと考えたのかなあ。実際関羽はこれで失敗してしまうのだ。趙雲じゃだめだったのかな。
上手いこと言うね。
これを言われた関羽は我が君のもとへ馳せ参じたいのをこらえて荊州に残る。
孔明は「死ぬまで戦う」という関羽の言葉に不吉を感じそれを否定して言葉を与えた。「北は曹操を拒ぎ、東は孫権と和す」
孫権とは和できなかったのが関羽だ。結局この言葉を関羽は守り切れなかった、ということなのか。
孔明は張飛に強く「蜀の民衆に恨まれるような行為をしてはならぬ」と言いつけた。
張飛の方はこれを守ってこの旅はうまくいくのである。
張飛軍は厳顔と戦うが捕らえた厳顔と意気投合し厳顔を味方として玄徳のもとへすばやく到達できた。
ううむ。張飛のこのかっこよさが定着していればなあ。
いちいち悔やむ私である。
一方玄徳は荊州からの援軍到着を待つのも百日となる。(昔はなにをやるにも時間がかかるねえ。三か月間じっとしてたんだよ?)
ここで黄忠はだらけ切った敵陣への攻撃を進言する。しかしこれは蜀軍の罠であった。
雒城への攻撃は四日四晩続けても上手くいかず玄徳軍は疲弊した。
蜀軍は玄徳軍の背後へ回り玄徳はやむなく逃げるしかなかった。
張任は執拗に玄徳を追いかけて来る。
今や玄徳の運命は風前の灯であった。
大きく動いた巻であった。
玄徳は相変わらず逃げ回っている。この人の人生は逃げの人生なのか。
孔明が荊州の留守番を関羽にしなければよかったのに・・・。私の不満はその一点にあるよ。ぶうぶう。
たらればはないんだよ・・・