ガエル記

散策

『死神主水』横山光輝

なかなか読むことができなかったこの短編。やっと購入できました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

『闇の土鬼』より1年前1972年短編作品。

土鬼の真逆のような男というべきか女を抱いてはいても誰も愛さず愛されもしない人を斬ることだけに喜びを感じている狂気が描かれる。

 

が、ここでも「普通のマンガとは違うなあ」と思うのは「女を殺さない」ことなのだ。

 

殺人が描かれるマンガ作品という枠内でだが、横山マンガでも女性が殺されるのは幾つもあるだろうけど他マンガ家作品に比べれば極端に少ないのではないだろうか。

 

江戸時代舞台。主人公は「死神主水」とあだ名される不気味な浪人。

とある藩の二番家老は一番家老を殺して実権を握ろうと画策した。その殺しを「死神主水」に依頼したのだ。

二番家老の計略は「死神主水という男は殺人狂だ」という噂を流し一番家老を暗殺したのは殺人狂の手にかかったからだ、と人々を納得させる、というものだった。

 

死神主水はあっさりと一番家老とその家来を暗殺する。だが罪を殺人鬼死神主水に押し付けるため「ひとりだけ生き残しておけ」という命令を破り皆殺しにしてしまった。

二番家老は怒り死神主水を口封じに殺すため用意していた殺し屋に「すぐにヤツを斬れ」と命じたが「死神主水だと知ってたらこの仕事は受けなかった」と言い出す。

「それは我々がまいた噂にすぎない」と笑うとその殺し屋は「あの男は本物の殺人狂なのだ」と去ってしまう。

残された二番家老は家来らに死神主水を始末させようとするが皆殺されてしまう。そして二番家老自身も死神主水の手にかかったのだった。

 

殺されるのが皆男なのだ。

マンガ作品(マンガじゃないコンテンツ、映画などでも)では読者(ここではほぼ男性)の興味を引くために先に殺されるのは女であることが定番だ。

女性があからさまに裸体で殺されていたことなどでページをめくらせる、という手法が用いられがちでそれは描き手の好みか読者の好みを慮ってかというものだ。

ところが本作では死神主水は冒頭「どこかでひろってきたのか女をだいている時もあった」という一コマのみ描かれているだけで、その時の主水の手を見るとまったく興味がないのがわかる。しかも「だいている」っていう説明自体が興味を持っていないじゃないか。せめて漢字で書こう。

ところが人を斬る、というよりも男を斬る場面は丁寧に丹念に描かれていく。

 

 

前回『闇の土鬼』で「男同士の戦いは性交」と書いたが本作でもそれは同じなのだろう(犬もいるけど)

女性との実際の性交場面は限りなく興味薄く描かれているが男性を殺す時にその描写は冴えわたる。

 

横山マンガは女性に理不尽な虐待をすることは少ないが興味も薄い。

死神主水は殺人鬼だが女を殺すことはまったく考えていないのだ。

それがなぜなのか、私にはまだわからない。

 

晩年になって好みが変わってしまう作家もいるが横山氏の最晩年作品『史記』『殷周伝説』『平家物語』を読むとその傾向は変わらずむしろ強まった感がある。

初期に愛らしい少女マンガの名作を描いていた作家なのに謎は深まるばかりである。