ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 四十四巻

この巻っていわゆる「クライマックス」と呼ばれるはずの箇所なのだけれどなあ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

上のもネタバレではある。

玄徳も言ってるけど桃園で誓い遭った義兄弟のふたりの弟を亡くし仇討に燃える玄徳が皇帝となって七十五万の兵力を持って呉を討ちに行く。

しかも関羽張飛の息子も加わり若者の熱い闘志によって連戦連勝の快進撃、という出だしで呉の運命も風前の灯、というところまで玄徳率いる蜀軍は成し得たのだが。

 

あの甘寧も蜀軍によって討たれ呉軍は圧倒的な蜀軍の力に容赦なく叩きのめされる。

関羽の息子関興は仇の潘璋を自ら探し出して討ちとり、糜芳傅士仁に至っては呉から蜀へ逃げ帰ってきたのを関興によって打ち首となる。

さらに張飛の息子張苞もまた呉軍から送られてきた父の首を見て泣き共に送り返された仇のふたり范彊・張達を討ちとったのである。

 

ここで馬良は玄徳に呉の使者が荊州を返し孫夫人を送り届けて末永くよしみを結び共に魏を滅ぼしたいという孫権の意志を伝えるのだが勝ち続けている玄徳は即座にその要求を撥ねつける。

「桃園の誓いは天下を統一し楽土を作ることであった」という玄徳の強い意志があった。

馬良は「勝ちすぎると恨みが残る。ほどほどに勝って従わせるのが最上なのだが」と思いながらもあきらめるしかなかった。

まさにここが運命の分かれで馬良の言う通りここで玄徳が「仇討ちも果たした。蜀に戻ろう」となっていたらとしか言えない。

しかし勝ち進む人間にそんな配慮がありえようもなく。

もしそうしてしまい後で呉(もしくは魏でも)に攻めこまれていたら「あの時攻め続けていれば」という結果もあるかもしれないし。

 

そしてここで呉は忘れさっていた「陸遜」を持ち出してきた。

この駒を進めたのは闞沢。かつて呂蒙とともに活躍したのだが文官としてのイメージが強くここでも皆から「書生」と呼ばれてしまう。

しかし孫権呂蒙陸遜を高く評価していたのを思い出し闞沢の言葉通りに陸遜を呼ぶ。

陸遜は自分の地位も名声もないことから文武の諸大将の前で国王の剣を授ける儀式を求めた。

孫権はこれを行い「陸遜の命は余の命と思え」とした。

 

が、戦場において総大将が陸遜に代わると聞いた諸将は「文弱の徒ではないか」と蔑み嘲った。

陸遜は「全員持ち場を守り一人も出て戦ってはならぬ。命を守らぬものは我が手で斬る」と諸将に言い渡す。

が諸将はこの判断に不満であった。「このような司令官ではもはや呉は滅ぶしかあるまい」

 

一方蜀陣では玄徳は馬良から陸遜の説明を聞き怒り立っていた。

そもそも関羽の死は陸遜の作戦から始まっていたのだ。

馬良が止めるのも虚しく玄徳は新たに知った仇討陸遜を攻め討つ気概に猛っていた。

 

蜀軍が攻撃を始めたことで呉軍も騒然となる。

韓当陸遜の命令を無視して出陣しようとしたが陸遜は自ら韓当の陣へ向かいこれを止める。

気負い立つ韓当陸遜は冷静に判断を論じた。

「蜀の玄徳ともあろう者が目に見える布陣だけで身を呉軍の前にさらすわけがない」

さらに「我らにとって持久戦は自軍を有利に導く」そして炎天を見上げ「彼らはこの炎天の中で持久戦に持ち込まれれば日々気力をついやし水を渇するようになる。いずれは陣を引いて山林の陰に移るであろう。その時が勝負じゃ」

それまではもぐらのように身をひそめているのじゃ、と陸遜は説いたのだ。

 

陸遜の思った通り蜀軍は炎天下で苦しんでいた。

やむなく玄徳は山陰に引くこととなる。

馬良孔明に相談することを進言したが玄徳はこれも否定した。だが馬良が漢中にいる孔明に意見を求めることは許可した。

 

呉軍では韓当が蜀軍移動を目にして陸遜に報告。ただちに追撃すれば勝利間違いなしと口説いたが陸遜は殿に老兵ばかりがいるのに気づき「三日待たれよ」とだけ言い残して去った。韓当は再び陸遜を罵る。

 

この状況を魏の曹丕が聞いて大笑した。

「それでは玄徳は死を急いでいるようじゃ」

魏帝曹丕は訝しむ重臣たちに説いた。

「蜀軍はすでに陸に四十か所の陣屋を結び今また数百里を水路に進む。このえんえん八百里に伸び切った陣線では七十五万の大軍も極めて薄い線となる」

そこを陸遜に狙われたら蜀軍は大敗を招くは間違いない。

呉は勝ち進んで蜀になだれ込むであろう。その時こそ我が兵馬が呉を奪い取る時だ。

曹丕は次々と諸将に攻撃を命じ天下統一を計った。

 

かくして魏軍は三路より呉を狙って出陣した。

 

漢中では孔明馬良を迎え戦況を聞き蜀軍の敗北を予感した。

水流に任せて攻め入るは容易いが遡って引くのはむずかしい。

原・隰・険阻を包んで陣屋を結ぶは兵家が避けて忌むもの。

そして陣線が伸び切れば力の重厚を欠く。

孔明はすぐに引き返して帝をお諫めしてくれと馬良に告げる。

「だが私が戻った時にすでに手遅れだった場合は?」

「その時は帝を白帝城に入れ奉るのだ。そこの魚腹浦には十万の兵が伏せてある。陸遜が追ってくればそこで討ちとれる」

馬良はそこに何度も往来していたが一兵も見たことはなかった。

が、孔明は「今にわかる」と馬良を急がせた。

 

呉の陸遜は行動を起こした。

待ちに待った蜀軍を討つ時期が訪れたのだ。

伸びに伸びた蜀軍はどこを襲っても手薄なのだ。

翌日から強い風が吹き始めた。

江北の陣から風に乗って火の手があがる。

次いで南の陣からも目の前にも火が広がっていく。

玄徳は馬に乗って逃げだした。

行く先々に呉軍が現れるのをかろうじて逃げおおせた。

山頂に逃げた玄徳が見たのは火の海と化した我が陣営だった。

陸遜はこの日を待っていたのだ。

雨も降らず乾ききりそして東南の風が吹き荒れる日を。

が、その玄徳に呉軍が押し寄せてくる。逃げてもまたさらに呉軍が。

そこに登場したのが趙雲だった。

孔明の使いで玄徳を白帝城へと逃げ込ませたのである。

百里の長きにわたった陣営は洪水の中の浮島の村の如きものであった。

各陣は個々に呉軍と戦い目もあてられぬ惨敗となっていった。

勝ち誇った呉軍は玄徳を追って白帝城に迫った。

 

陸遜は魚腹浦の手前の古城で玄徳を捕えんとしていた。

だが目の前に見える魚腹浦になぜか凄まじい殺気を感じてならない。

密偵を放って探らせたが敵兵はひとりもいない、というのである。

陸遜は再び老練の密偵を送った。

戻った密偵が報告するには「敵兵は見つからないが山と山との間に大小数千の石が積み上げられておりそこに立つと冷気が立ち込め鬼気迫るものがある」というのだ。

 

翌日陸遜は自ら数人を伴ってその場所へ赴いた。

近くにいる漁師たちに聞くと「諸葛孔明という人が大勢の兵を連れてきて造らせたものです」という。

しかも「不思議なことにそれ以来江の水も妙なところへ流れ込み時々旋風が起こったりするので今では誰もあそこに近寄りません」と話すのだった。

「そうか、孔明の悪戯か」

 

陸遜はそこへ足を運ぶ。

こんなものに迷うていたか、と陸遜は自分に呆れる。

そして天下の大軍師孔明が作った悪戯を近くで観てみようと入っていった。

が、進むと行き止まりとなってしまった。

戻ろうとするがまたも行き止まり。目印を間違えたかと戻るとまたも行き止まりになってしまう。

いくら戻ろうとしても陸遜たちはどこへも出ることができなかった。

「駄目です。どこへ進んでも同じ所へ出てしまいます」

確かに波の音だった。

陸遜は急いで出口を探そうとするが

そこへひとりの老人が現れた。

「これは石兵八陣と申しましてな。知らぬ者が入ったら二度と出られませぬ」

そして陸遜たちを出口へと誘った。

 

陸遜はここで思う。

「一年も前からこのような備えをしているとあらば国内はもっと固めているだろう。わしがここまで深入りしたのは過ちだった。呉を狙うは蜀だけではない」

陸遜はすぐさま呉へと引き返す決心をしたのである。

 

そこに「魏の大軍が三路より呉に向かっている」という報が入る。

陸遜の予感は当たった。

が、曹丕の戦意の激しさもまた脅威であった。

「今こそ呉を討ち、蜀を討つ時じゃ」と魏帝自ら出陣したのである。