ネタバレしますのでご注意を。
この「孔明南蛮行き」
事実がどうなのかまったくわからないけど差別的意識が強いのではないかと考えてしまう。
差別的といっても仕方ないことではあるのだろう。
何しろ日本ではほぼ卑弥呼の時代なわけで卑弥呼時代の日本文化と三国志文化で戦争したらどうなることか想像するだに恐ろしい。さすがにこの時に差別されてしまったとしてもしょうがない気もする。
同じように中国文化から少し外れた南方方面の人々が様々な面で遅れているという感覚があったとしても当然かもしれない。
とにかく孔明は南蛮の人々を攻撃するのではなく仁徳によって心底から敬意を持たれるのを目標に子どもじみた南蛮武将たちに接していく。
このやり方も先の戦争後日本人がアメリカ文化にどっぷりはまり思慕の眼差しを向けていく過去を思い出させる。
というわけでこの巻の詳細を書いていくのはかったるいが読めば孔明の慎重さと賢明さが理解できる。
「未開の地の人々」と思える彼らの心をつかんでいくその手法は恐ろしい手口とも思えるが確実でもある。
武将にも兵士にも暴力ではなく美味しい食事を振る舞い敬意を示す。
繰り返し繰り返し繰り返し、その対応を繰り返す。
そして服従した武将に太守を命じてさらに敬服させてしまう。
益州三郡の反乱に加わらず最後まで城を守った永昌太守王伉の労を慰める。
そして呂凱から南蛮指掌図を渡されそのまま彼を案内役として同行を願った。
こうして孔明はさらに南蛮の奥深い道を進んでいく。
そこは不毛の地、疫病の国と言われていた。
そこへ訪ねてきたのが馬謖であった。
兄の馬良が亡くなったため白い喪服姿で現れたのである。
彼は帝から任じられ将兵たちを慰めるための桂酒を運んできたのであった。
「心を攻めるを上計、城を攻めるを下計」と申します。彼らを心から服従させたならそれで充分と考えまする。
孔明はこの見識に感心し「私もそのように考えていた」と同意した。
この「南蛮行き」で屈指のキャラ孟獲である。
孔明はあえて王平・馬忠に先陣を申し付け趙雲・魏延の闘争心に火をつける。
趙雲・魏延は土地の者を捕えて道案内をさせ三洞の元帥のひとり金環三結を討ちとってしまう。
董荼那・阿会喃は逃げたものの孔明はしっかりふたりとも捕獲させる。
そしてここでも二人をもてなした後プレゼントまで渡した上で釈放したのである。
これを聞いた孟獲は怒り自ら先頭に立って出陣する。
孟獲の兵士たちも問う同じように捕まえるがいつも通り皆に食糧を渡して帰すのであった。
次いで孟獲に対して孔明は対話し縄をほどけば降伏するかと問うが孟獲の戦意は消えず「自由になれば蜀軍を滅ぼすまでよ」と答えた。
孔明は孟獲の縄を解かせ「気が済むまで向かってくるがいい」と彼を釈放したのである。
孟獲は自陣に戻り「番兵を打ち殺してきた」と嘘を言って皆を感心させる。
そして再び諸洞の将を集めたのであった。
孔明軍の行軍は続く。毒蛇・大蛇・蛭・害虫の襲撃にあいながら目にしたのは大河濾水の対岸に延々と続く南蛮軍の防塞であった。
忍耐忍耐。