ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 四十九巻

心から孔明お疲れ様です。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

孟獲は烏戈国の兀突骨に身を寄せる。

兀突骨は藤甲軍という山藤を使った強靭な鎧甲を身に着けており矢や刀も通さない。

兀突骨大王は孟獲ら一行に野趣あふれるご馳走をふるまい助力を惜しまなかった。

孔明軍は藤甲軍に苦しめられる。が、孔明は彼らを盤蛇谷におびき寄せ火薬を使用して焼き尽くすという手段を取った。

藤甲軍三万が丸焼けとなる情景を見て孔明は思わず涙を流す。

しかし趙雲はこれを見て厳しく諫めたが孔明にとってその言葉は心を癒すものであった。

一方孟獲兀突骨大王が孔明を追い詰めたという虚偽の情報を得て大喜びで駆け付けたところを捕獲されてしまう。

孟獲孔明の陣へ連行されるとそこには妻や弟もすでに捕まり食事を提供されているところであった。

そこへ孔明の使者が来た。「烏戈国を徳をもって服従させることができず恥じ入る孔明は姿を見せられないため伝言をお伝えする。貴殿を許すため今一度勝負をつけに参るようにとのことでございます」

これを聞いた孟獲は「いかに野蛮なわしらでも七たび虜にして七たび許すとは聞いたことがない」とつぶやいた。

そして使者に向かって「詫びさせてくれ」と伏したのである。


孟獲孔明に心の底から詫びた。孔明は「これから共に栄えよう」と言った。そして孟獲を以前通り南蛮国王として蛮土の民を愛し王化に勤めてくれと言い渡したのである。

 

こうして南蛮平定を成した孔明軍は帰途についたのである。

南蛮国の貢ぎ物を受け諸洞主に見送られた。

が、その途中暴風で河が荒れ渡ることができなくなっていた。

困った孔明孟獲が言う。

「この河を治めるには四十九人の首を供えて祭れば波風が和らぎ渡れるようになるのです。すぐにそろえまする」と。

孔明は恐ろしい風習に眉を顰め孟獲に勝手なことをしてはならないと諫めた。

そして料理人に牛馬の肉を人間の頭ほどに丸めてこねた小麦粉をかぶせて目鼻をつけ人間の首のようにしたものを四十九個急いで作れと命じたのである。

孔明はこれを「饅頭」と呼び本物の首の代わりに供え物とした。

孟獲にこれからはこのようにして荒神を抑えよと教える。

孔明が饅頭を使った儀式を行うと河は静まった。

しかし孟獲はじめ南蛮人たちには饅頭で河の流れが治まったと見れたのである。


孔明は急ぎ橋を造らせ孟獲い「もう引き返してよいぞ」と伝える。

しかし孟獲孔明に心酔し切ってしまった。「いつもおそばにいたい」というのを退けられ「ではもう少しだけでも」と永昌郡までついてきてしまう。

そしてそこにつくと泣きながら去っていったのである。

 

ついに孔明軍は成都に戻った。

沸き返る歓呼と熱気で成都孔明軍を迎えたのである。

 

孔明成都に凱旋して数か月後。五虎将軍のひとり馬超が病に倒れ四十五歳の若さで息を引き取った。

ところが魏の皇帝曹丕も病に倒れまだ若い曹叡を後継者として司馬懿らに後を頼んで逝去した。四十歳だった。

ここで司馬懿は辺境の地と呼ばれる西涼の守りを望む。

蜀に対する備えでもあった。

が、これを聞いて顔色を変えたのが孔明馬謖であった。

馬謖孔明に会い「仲達が謀叛を企み西涼にむかったのだという噂を流し若い曹叡が彼を疑って殺す」よう計略を話す。孔明は「おもしろい」とこれに賛同した。

孔明は切れる馬謖を見送りながら「わしの良き後継者となりそうじゃ」と喜ぶのであった。

 

馬謖は檄文をあちこちで張り紙とし魏の民に疑惑を広めていく。

若き皇帝曹叡はこれを読み動揺する。重臣たちは司馬懿を試すために皇帝自ら西涼へ赴き司馬懿の動向を探った。

何も知らない司馬懿は数万の軍勢を引き連れ皇帝を出迎える。

これを知った重臣たちはやはり司馬懿には謀叛の意があると曹叡に伝える。

曹叡は怯え重臣たちの言いなりとなった。

司馬懿はやむなく官職を剥がれ郷里へ立ち去ることとなったのだ。

 

この知らせを聞いた孔明が喜んだことは言うまでもない。

「これで安心して魏を討ちに出られる」

孔明は門を閉ざし客も断り居間に閉じこもった。

「臣亮もうす」で始まる有名な前出師の表を一句一章心血をそそいで書き始めたのである。

それは国に対する忠誠と国家百年の計を述べんとするものであった。

 

蜀にきて国を興した玄徳と孔明

その目的は魏を討ち漢室の復興と還都のふたつであった。孔明は今それを実行に移すべきと決断したのである。

 

孔明の苦難、北伐がはじまる。

のんびり暮らすはずだったのに苦しむために生まれてきたような人だ。孔明