ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 五十二巻

が、街亭の戦いです。『三国志』辛い話の一、二を争うのではないでしょうか。

 

 

ねたばれします。

 

 

一は「関羽の最期」ですがこの「街亭の戦い」はなあ。

横山版は細かい描写がないのでなぜ孔明があれほど馬謖に惚れ込んでしまいなぜそれほど惚れ込まれた馬謖があのような増上慢になってしまったのか、と思いあぐねてしまうのだ。

 

 

さてまずは孟達だけど彼の場合はそもそも関羽の件でむかむかするしそもそも馬鹿だし死んでしまえと思うから彼が死んでしまうのは致し方ない。

というか孔明孟達を信用するのが不思議だ。位置的に役に立つから猫の手も借りようということかもしれないが結局何の役にも立たない人間だった。

関羽を見殺しにしたことは万死に値するでは足りないと怒り狂う私である。

しかし孟達が洛陽に襲い掛かると聞いて酒宴を開いてしまう孔明。おおらかだなあ。

 

が、結局孟達は信用に足らざる人物にすぎなかった。

孔明司馬懿の復活を知って注意を促すが孟達聞く耳を持たない。

司馬懿は電光石火で動いていた。しかも魏帝・曹叡に同意なども止めず孟達謀反の報告に反応したのである。

孟達は弓矢の腕で徐晃を討ち取ったものの仲間と思っていた申耽申儀に裏切られ命を落とした。あまりにもあっけないが。

 

曹叡の元に駆け付けた司馬懿は「以後事の急なる時は朕に告ぐるまでもないぞ」という破格の特権を与えられた。

 

さてこうして魏の大陣容は整った。

司馬懿は曹真に孔明の進路を防ぐように命じる。司馬懿自身は街亭という一高地とそのそばの列柳城という二か所の要害を奪うことで孔明の兵糧輸送の道を断つ計画を立てた。

司馬懿孔明の智謀をなによりも恐れ用心の上に用心を重ねていた。

 

そして孔明司馬懿が睨んだ通り街亭の守りを考えていた。

「誰かにこれを守らせなければ」

この時声をあげたのが馬謖であった。

馬謖は是非それがしにと強く願い出る。孔明は「そなたに行かせよう」と答えた。

孔明馬謖の才能を愛していた、と書かれている。

これまでも孔明馬謖と南蛮で行動を共にしたこともあり、司馬懿仲達の謀叛というデマを流して彼を挫折に追い込んだ発案も馬謖であった。

だがあの玄徳が生前「馬謖を重く用いるな」と孔明に忠告していたこともあった。

玄徳は人物の才能を見る能力に長けていたように思える。その玄徳が「馬謖は重く用いてはならない」と見ていたのにはそれなりの理由があったのではないか。

なのにその言葉を打ち消してしまうほど孔明馬謖の才能を愛していた、というのだろうか。

横山氏は馬謖の描写をそれほどしていないのでなぜ孔明がそこまで馬謖を信じてしまったのか、よくわからない。

むしろ王平をそのまま用いた方がよかったのかもしれない。

しかしこれもいつものたらればである。

孔明馬謖を用いてしまったのだ。

 

が、その割には孔明馬謖を信じ切れなかったようだ。高翔という武将に列柳城へ向かわせ街亭が危ない時は救援するように命じた。

さらに魏延に街亭の後詰めを命じた。

そして趙雲・鄧芝に箕谷に向かわせ疑兵の作戦を取らせた。孔明自身は大軍を率いて斜谷より一路郿城を襲うとした。

 

さて馬謖は街亭に到着し周囲を見回すと大笑いする。

やっと人の通れる山道があるだけ、こんなところに魏軍が大軍など差し向けるものか、と言いだした。

この画像(ほぼ右側だけだが)何度目にしたことか。

いったいなぜ馬謖王平の助言も払いのけこのような言動になってしまったのか。

 

さて馬謖より遅れて街亭に到着した司馬懿軍。息子司馬昭から蜀軍がすでに街亭に来ていたと聞き「さすが孔明ここまで手を打っていたとはまさに神業、わしの及ぶところではないわ」とうなだれる。(司馬懿のこういうところがすごく可愛いと思ってしまう)

が息子昭は「道筋ではなく山頂に陣取っているのでたやすく奪えます」と父に進言した。

司馬懿は驚き自分の目で確かめにいく。

そしてその判断をした将が馬謖と聞いて「孔明は才智はたけても人を観る目がない」と安心もした。

司馬懿馬謖軍の水くみ場を抑え山を取り囲んだ。さらに次々と火・矢で馬謖軍に襲い掛かる。

これに気づいた王平は救援に向かったが張郃に行く手を阻まれ引くしかなかった。

こうして孔明の万全の布陣も馬謖のために大きく綻びようとしていた。

 

馬謖軍は水を断たれ兵士は飢え渇いた。水くみ場まで降りた兵士は次々と魏軍によって降伏させられてしまう。

しかも夜になると一万の兵士がこっそり山を降りて降伏を願い出た。

馬謖にはもう後がない。

司馬懿軍を突破して列柳城へと向かう計画を立てる。

がそんな計画は司馬懿の予想内だった。

さらに高翔・魏延の援軍も司馬懿軍によって封じられてしまう。

馬謖が勝手に街亭山に陣取ったことで孔明の布陣は完全に破壊されてしまったのだ。

 

孔明のもとへ王平が描いた街亭の布陣が届けられた。

それを見るなり孔明は呻く。「我が蜀軍の命が馬謖によって断たれた」

嘆く孔明に急使が入る。「街亭・列柳城が魏軍に奪われました」

孔明は「これですべてが終わった」とつぶやく。そして「ここは味方の被害をいかに少なくしながら総退却をするか」

孔明は諸将に速やかに指示を言い渡していく。そして自らは食糧貯蔵庫である西城へ向かい食糧をどしどし漢中へと移動させた。

そこへ司馬懿が十五万の大軍で押し寄せてきたのである。

孔明は旗指し物を隠させ四門を開け放ち水を打たせて貴人を迎えるが如く掃き清めさせた。

そして孔明自身はやぐらで琴を弾いたのである。

 

香を焚き二人の童子を側に従えて琴を弾く孔明

その姿を見た司馬懿は震え「引けっ」と命じたのだ。「これは罠じゃ。孔明め、また何かを企んでおるのじゃ」

司馬懿の命令で魏の大軍は引き揚げていく。

そこには関興張苞孔明の命令で伏しておりあちこちで銅鑼や歓声を上げて回った。

魏の大軍はこの見えない敵に恐れをなして逃げ出したのである。

蜀軍が総退却をするあいだ殿を務めたのが趙雲であった。

趙雲は一人だけ狭い山道に通せんぼをして残り襲い掛かってくる魏軍を討ち倒し矢を射かけ悠々と去っていった。

 

さて司馬懿仲達は恐怖を感じた西城の様子を住民たちに問いただした。

があの時城にはわずか二千五百の兵がいただけでなんの仕掛もなかったという答えだった。

「私どもは司馬懿様が何故引き揚げられたのか不思議に思っていました」

これに司馬懿は「こちらにもいろいろ考えあってのことだった」と言い訳をするしかなかった。

「そうか、そうだったのか」司馬懿は一人残ってつぶやく「このたびの戦にはわしが勝った。だがその知略わしはまだ孔明の足元にも及ばぬ」