ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 五十五巻

9ページのこの月、なぜ模様があるんだろう?横山先生の月いつも真っ白なのに?

流行りだったのかな。

 

 

ネタバレします。

 

 

孔明が守りを固めて動こうとしなかったのは司馬懿軍の目を引き付けておいて武都・陰平の両郡を攻めるためだった。

それに気づいた司馬懿郭淮・孫礼を向かわせる。

しかしそこには孔明が待っており両将は道中で襲われてしまう。

蜀軍の猛攻に引き揚げようとする郭淮・孫礼を深追いしたのが張苞であった。

山道を逃げゆく魏軍を追いかける張苞の馬が岩に足を取られ張苞は馬もろとも崖下に落下し大怪我を負ってしまったのだ。

 

やむなく張苞は帰国することとなる。

 

司馬懿はあらたに張郃・戴陵の両将を祁山の裏側へと送り込む。

が、孔明は今回も司馬懿の作戦を見通していた。張郃・戴陵は孔明軍に襲われ引き揚げたが孔明張郃の武勇に感嘆し折あらば討ちとっておかねばならぬと判断した。

 

これ以後司馬懿はまたも守りを固め陣から出ようとしなくなり半月が過ぎる。

ここで成都から勅使が到達し陛下より戦果を喜ばれもう一度昔の丞相に戻るよう御下命される。

 

しかし戦況は一向に動かず孔明は陣払いを決心した。

陣払いをすることで司馬懿軍を誘い出し魏軍との決戦を考えたのだ。

この報告は司馬懿にも入り張郃は追撃を進言するが司馬懿は「これは孔明の罠だ」として許さなかった。

司馬懿は間者の数を増やして孔明の動向を探らせる。

 

孔明の大軍は三十里ずつじりじりと退いては留まりまた三十里退くという様相を見せていた。

「危なし危なし孔明の罠などにかからぬぞ」

しかし張郃らは司馬懿の判断に苛立っていた。

孔明軍は相変わらず三十里ずつ下がっていく。

ついに張郃はたまらず声をあげた。「このままでは無傷のまま孔明に逃げられてしまいます。それがしに兵をおあずけくだされば追撃して一泡吹かせて参ります」

これには司馬懿もうなったがさらに反論されて追撃を許した。

「だが、一夜野営して兵馬を休ませた後に蜀軍へつっこめ。わしも第二陣を従えて後を追う」

 

この報を受けて孔明も各将へ指示を下す。

将達は孔明が言った「この一戦こそ蜀の攻防に関わる」と言う言葉に身を引き締めた。

 

張郃軍は蜀軍に追いつきここが正念場と暴れ出した。

孔明の指示通り正午近くに赤い旗が振られ関興軍がこの合図を機に突っ込み蜀軍は反撃を開始する。

張郃は四方を蜀軍に囲まれさらなる死闘が繰り広げられた。

そこへ司馬懿率いる中軍が現れ両軍入り乱れての決戦となる。

この時、姜維廖化孔明から渡された袋を開け指示を読んだ。

そこには「汝らは渭水の本陣を奪え」と書かれていたのだ。

ここ、かっこいいいい

 

が、司馬懿の間者がこの様子を見ていた。

間者は司馬懿を探し出し姜維廖化が本陣へ向かったと知らせた。

司馬懿は「孔明の狙いは本陣であったか」と急ぎ全軍撤退して本陣へと戻る。

 

司馬懿軍は今度は追撃を受け大きな被害を受ける。

だがかろうじて司馬懿は本陣へと戻り守りきった。

 

孔明の本陣奪取の計はならなかった。

あとには両軍合わせて万余の死体が取り残された。

 

この結果に司馬懿は怒り「これ以後決して動くな。軍法に背くものは処刑する」とした。

 

一方の孔明軍は司馬懿軍の残した馬・武器・食糧などを手に入れていた。これだけあれば長安まで進める。

がそこへ成都より使者が訪れ張苞の死去を報じた。傷口から破傷風にかかってしまったのだ。

これを聞き孔明は泣き崩れた。そしてそのまま血を吐き倒れてしまったのだ。南征から北伐と休む間の無い合戦の連続が孔明の身体を弱らせ病魔が蝕み始めていたのである。

 

十日間孔明は病床に伏していた。

そして起き上がると孔明司馬懿が気づかぬうちにと漢中へ引き揚げたのである。

この月も模様が。最初のより上手くなっているけどまだなんか拙い。

 

 

司馬懿は蜀軍がとっくに引き揚げたという報告を受ける。しかも孔明は病に倒れたというのだ。

それが事実ならわしは千載一遇の機会を逃したことになる。

 

さて魏では曹叡孔明が病に倒れると聞き今度は魏が漢中へ攻め入る時、と命じた。

四十万の大軍を率いるのは征西大都督の曹真、副都督が司馬懿として進軍を始めたのだ。

 

だがこの頃には孔明の病気も回復し毎日兵馬の調練をしていた。

魏軍出兵を聞き、王平張嶷に千名の兵を率いて魏軍をくい止めよと命じる。

王平らは兵の少なさに驚くが孔明は天文を観てここ十年来の大雨がくるという。

魏軍何十万が剣門閣を伺おうにも大雨で軍馬など進められるものではない、というのだ。

孔明王平らに雨に備えて高位に陣を取るよう伝えた。

 

司馬懿もまた大雨を予想し曹真のために小高い場所に小屋を建てさせた。

そしてその大雨が始まったのである。

 

数日間雨が降り続け絶壁は滝となり道は激流となった。平地ではすべてが水につかり兵士は高所へと逃れた。

谷は湖と化し、四十万兵士は孤立した。

まぐさがなくなり馬が死に兵士たちは生で米麦を食うしかない。病気が流行り死んでいった。

 

長雨は一か月にわたって続いた。

 

そしてやっと晴れ間が見え水が引いた頃洛陽より勅使が到着した。魏帝からの引き揚げの勅命だった。

曹真・司馬懿は漢中侵攻をあきらめ引き揚げを開始した。

 

孔明は追撃をせず蜀軍を二隊に分け斜谷と箕谷から祁山に向かったのだ。

 

曹真は孔明が追撃してこなかったのを疑問視して司馬懿に問う。

司馬懿はここではっと気づき孔明が追撃よりも祁山を狙ったのだと進言した。

しかし曹真は大笑いして(だからいつも負けるのよ)これを信じない。

司馬懿は曹真を動かすために「もし間違いだったら化粧と女装をして曹真様の前にひれ伏します」と言い出す。これを面白がって曹真は司馬懿の賭けにのったのである。

 

司馬懿箕谷、曹真は斜谷へと向かったのだ。

 

ここで魏延の最初の反抗が見える。

司馬懿の行動を予測した孔明箕谷へ向かっていた魏延らに進撃中止の命令を鄧芝に伝えさせたのだが魏延はこれに不服を示したのだ。

街亭を司馬懿に奪われたことを蒸し返し孔明の作戦が何度も失敗していると指摘して「そのような頼りない采配には従いかねる。我らは一気に人より先に陣を構えて見せる」と言い放ってそのまま進撃していったのである。

 

鄧芝はすぐに孔明にこれを知らせた。

孔明は冷静に「魏延はわしに愛想尽かしを始めたのかもしれぬ」と目を伏せた。「これも孔明の不徳のいたすところ」と。

しかしこのまま放置できぬ問題になりそうだと考えた。

 

結局、大口をたたいた魏延達はそのまま突き進んで大きな被害を出すことになる。

この報告を受けた孔明はその件には何も言わずもう一方の曹真の陣を襲う計略を進める。

曹真自身は蜀軍をまったく観ることもなく報告を受けることもなく司馬懿の女装を楽しみにしていた。

 

司馬懿の女装・・・見たいのか?

 

そして魏延の反抗・・・