紀元前666年頃からのお話です。
ネタバレします。
第十九代晋の献公は異民族の驪戎を征伐し驪姫とその妹を捕らえ側室としたのだった。
この物語はその驪姫の陰謀、という話として描かれているが現在の感覚で言えばむしろ復讐譚なのではないだろうか。
まあどちらにしても王たる献公が驪姫にのめりこんでしまったために驪姫が生んだ息子をどうしても後継者にしたくなったことから様々な陰謀が渦巻いていくのである。
献公の八人の子のうち特に三人が家臣たちからも信頼を集めていた。父である献公はこの優秀な三人を排除しようと画策する。
むしろ家臣がこの三人が排除され驪姫の子が後継者になることを怖れ三人の公子たちを守ろうとする。
が、そのひとり長男・申生は心優しい人物で親に逆らうことができず自死を選ぶ。
ほかのふたりは危険を察して逃げたのだった。
重耳は母の国・翟に、夷吾は梁へと亡命した。
父・献公は重耳がいる翟に出兵したが翟は重耳を守って激戦し献公の晋を敗退させたのである。
紀元前651年、献公は病で死去。
後継者は驪姫の子だったが多くの家臣がこれに異を唱え驪姫を殺害。
さらにその子も殺害し関わる一族は皆殺しにしたのだった。
ううむ、これ、やはり「璃姫の陰謀」ではないのではないかな。
ほとんど陰謀らしきものがない。毒殺の件は結局話だけなのだしそもそも献公自身が望んでいたとしか思えないし。
一族皆殺しして口封じしたとしか思えない結末だ。
歴史で悪女と言われる女性はほとんど悪女ではない、という一例に思える。
さてこうして驪姫という悪女伝説がまたひとつ作られたのだろう。
重耳は翟(狄)へ夷吾は梁(魏)へ亡命した。
(そうか梁が魏なのか)
重耳という人物が長い放浪を経て君主になったという話だけは知っていたがこうしてじっくり話を読むと大変なことである。
62歳で文公として晋で即位したのだが亡命19年なら43歳から放浪始めたのか。かなり辛いな。
恩を受けた国は助け、粗末に扱った国は討って春秋の覇者となった、という明確さ。それもすべて優れた側近がいたからと説明される。
もうひとりの優れた子供の夷吾はさっさと晋に戻って即位したものの人格者ではなかった。
重耳派の面々を殺害し恩を受けた秦を逆に討伐しようと企み危うく命を落とすところで助かり(悪運はある)さらに兄の重耳がまだ人気があるのを疎み暗殺計画をたてる。(どこまでねじくれてるのか)しかし重耳のほうは娶った女性ができた人ばかりで生きながらえ且つ「もう野心はなくなった、お前と一緒に平穏に暮らしたい」という重耳を酔わせて眠らせたまま晋の君主になるために送り出してしまう。
夷吾(恵公)が病に倒れ、ついに重耳は秦の軍勢を味方につけ恵公の子(懐公)と戦う。
が晋にはまだ重耳の支持者が多く懐公は秦と晋の両方から襲われ討ち死にしたのであった。
こうして重耳は晋で即位し文公となった、62歳であった。
重耳の物語も気になっていた。横山マンガで簡単に面白く知ることができた。満足である。
あっさり自死した兄、人格に欠ける弟、そして辛抱強くしすぎて野望忘れた重耳だが嫁さんに尻を叩かれてなんとか覇者となった、という物語だった。