別にいいんですけどあの「食客三千人」の表紙としては不気味ではありませんか。
ネタバレします。
「食客三千人」の逸話はさすがに知っていたけどその生い立ちに驚いた。
斉は薛の領主・田嬰は多くの側室を持ち四十余人の子供がいた。その側室のひとりが五月五日に男子を出産した。
主人の田嬰は「五月五日は厄除けの日。この日に生まれた子は親に害をなすという」と言って生まれた子を殺せと命じるのだ。まだ横たわっている母親が「お慈悲を」と言っても「ならぬ」と言って去る。
何と惨いと歯噛みする思いだが従順そうに見えた母親が「心配することないのよ。私が殺したりするもんですか」というのには笑った。
中国女性は強い、というべきか母は強しか。
その子は田文と名付けられこっそりと育てられた。
これが孟嘗君である。
なんとこれが孟嘗君の生い立ちだったのだ。
つまり彼は生まれてすぐ殺されていたかもしれないのだ。父親に。
そして二十数年。
その日は父と子の目見えの日だった。(父子が会うのもたいへんだ。しかしこんな感じだったから生き延びられたのか。って普通殺さない)
ここで田文は母親に連れられ父親の前にでた。(この母さん、かなり強い)
父・田嬰は殺せと命じたはずの子供が生きていたので激怒。ここで田文は落ち着き払って父に問いかける。(こっちも強い)
「なぜ五月五日生まれの子を殺すのか」
「その子は背が戸口の高さになったら親を殺すのと言われているのだ」
「すると人の運命は天から授かるものでしょうか。それとも戸口から授かるものでしょうか」(論破論破)
言葉に詰まる父親に「人の運命が天から授かるものなら戸口を心配する必要はありませぬ。戸口から授かるものなら戸を高くすればすむことです」
これには父も「むむむ」
帰ってよい、というだけだった。
現在日本では論破は嫌なものだとされているけどこれは気持ち良い論破。命かかってるし。
別の日、田文はまたも父・田嬰の前に現れ「玄孫の孫は何というか」と問う。答えきれない父に田文は「父上は有り余る財産を築き上げました。しかし周りを見回しますとひとりの賢人もいない。父上のまわりの女官はご馳走を食べ飽きてますが家臣たちは米さえ満足に食べられていない。父上はこれ以上財産を蓄えて誰に残されるのですか。なんと呼んでいいかわからない孫にでしょうか。蓄財に励むあまり国の政道が日一日と歪んでいくのにもお気づきにならない。私にはそれが不思議でならないのです」
あまりの正論に田嬰はまたも「むむむ」となった。
田嬰は「家の取り締まり、客の接待はそなたにまかせる」と言い渡したのである。
なんか物凄く感心してしまった。この田嬰さん、酷い人だと思ったけどこうした子供ができるなんて案外徳の高い人だったのかもしれない。
本当の悪人ならこうはならない。
こうして田文、後の孟嘗君の屋敷に訪れる客は大切に迎えられた。これが噂を呼び田文の名は諸国に広まった。田文の屋敷に訪れる客は日増しに増えていく。食客は乱世の情報源だったのだ。
ネットワークというやつだな。
こうして田嬰は臨終前に田文を後継者に決めたのである。すごい。
田文は薛の領主となった。
これが孟嘗君である。
領主となってからは財産をなげうって食客を招いた。こうなるとフィギュアを集めている人みたいだな。
食客数は三千人にも膨れ上がった。
ある日訪ねてきた男に特技を問うと「盗みです」と答えた。
あきれる孟嘗君に男は「自慢はできませんがどんな厳重なところにある物も盗み出せます」という。
他の有能な食客たちは「この前は物まねの名人、今度は盗人。そのような者まで食客にするのはいかがかと」と諫言したが孟嘗君は「かならずや役に立つ日も参りましょう」と流してしまった。
さてここからが有名なあのエピソードになる。
孟嘗君の名は広まり、秦の二十八代昭王も一度会いたいと思い弟を人質に差し出して孟嘗君を秦へ招いたのだ。
しかし食客たちは「斉と秦は敵。秦は蛮地であり文化も遅れ強引な国です。安心できませぬ」と反対した。さらに泥人形と木人形の会話を言って聞かせる
これには孟嘗君も納得したのである。
だが結局孟嘗君は湣王の王命によって秦へ行くこととなる。紀元前299年。
食客たちも供をした。
秦の昭王はやっと会えた孟嘗君に喜び盛大にもてなした。
昭王は孟嘗君を気に入り秦の宰相にしたいとまで思ったが側近は反対した。
国政を任せれば斉を第一に考えて秦の脅威となるでしょう。先を考えれば彼を殺しておくべきです。
これには昭王も肯き孟嘗君を殺そうと包囲を固めたのである。
しかし王命がないかぎり包囲は解かれないだろう。
ひとりの食客が案を出した。
「昭王に寵愛されている幸姫に口添えを頼めば気持ちを変えさせることができるかも」
早速幸姫に交渉すると「孟嘗君が持っている狐白裘をいただけるなら口添えしましょう」という返事だった。
狐白裘というのは狐のわき毛の白い部分だけで作られた毛皮のコートで一着作るのに数万匹を必要とした。
しかしその狐白裘はすでに昭王に献上したもので手元にはなかった。
困った時あの盗人が声を上げた。「私がその狐白裘を盗んで参りましょう」
盗人はみごと宝物殿に忍び込み目当ての狐白裘を持ち帰った。
渡された幸姫は喜びその夜昭王が訪れた時に口添えした。
「天下に名高い孟嘗君を殺したとあれば昭王様の名に傷がつき悪評が広がり賢者は秦に来なくなります」(いやこれは正しい)
これを聞いた昭王は人を呼び孟嘗君の迎賓館の包囲を解くように命じたのである。
翌朝包囲が解かれたのを知った孟嘗君一行は昭王の気が変わってはならぬと慌ただしく出立した。
その後、これに気づいた側近たちが「孟嘗君を帰してはならじ」と騒ぐのにまたも動揺した昭王は(この人自分がないね)再び包囲せよと命じたが孟嘗君一行はすでに出立、追手を出せと命じた。
孟嘗君一行が関所の函谷関に到着したのは真夜中。
夜が明けるまで門は開かないのだ。
「鶏が時を告げるまで門は開かない」と困る一行のなかで物まね名人の男が声を上げた。「私が鶏を鳴かしてみせます」
男が鶏の鳴き声を真似すると周囲の鶏たちがいっせいに鳴きだした。
「もう夜明けか?」
と関所の番人たちは起き出して門を開けた。
孟嘗君一行が門を通ろうとするのを番人が止め通行手形を求めた。
「これにございます」
その手形もまた食客の偽造名人が作ったものだった。
「それにしても人それぞれ使い道があるものだ」
「さすが孟嘗君、先見の明があられる」
昭王の追手は夜明けに関所に届いた。
問いかけると番人たちは「二刻も前に通りました」と答える。
追手たちはもう追いつけぬと諦めながらも「そんなに早く鶏が時を告げるとは?」と訝しんだ。
孟嘗君は任務を果たして無事斉に帰国。
湣王は蘇の功により孟嘗君を宰相とした。
これは孟嘗君を他国に取られたくないためだった。
ここで終わりかと思ったらまだ続く。
孟嘗君が宰相になって間もなく馮驩という男が斉の首都にやってきた。
馮驩は無一文となり何の特技もなかったが孟嘗君の屋敷へ行き下級宿舎に住むことになる。
十日後、孟嘗君がその男の様子を尋ねると剣を叩きながら歌を歌っているという。
「長剣よ帰ろうか、俺には魚を食わせない」
これを聞いた孟嘗君は中級宿舎に移させた。そこなら食事に魚がつくのだ。
しかし数日後馮驩はまたも「長剣よ帰ろうか、外出するにも車もない」と歌っているというのだ。
孟嘗君は「よし。では上級宿舎に移して専用車も与えよ」とした。
しかしそれでも馮驩は「長剣よ帰ろうか。これでは家も持てやせぬ」と歌うという。
孟嘗君はさすがに怒り放っておけとした。
ところがここで孟嘗君は財政難に苦しむ羽目になった。
食客三千人を養うため孟嘗君は金貸しをしていたのだが返済期間が来ても金も返さず利息も払わぬ事態となったのだ。
孟嘗君の家来は「馮驩は押し出しも立派で弁も立つ。こういう仕事に向いているかもしれませぬ」と進言した。
果たして孟嘗君が馮驩に頼むと馮感はてきぱきと金を借りた者たちを集め返済能力があるか否かを見極め返済できない者の証文は焼き捨てた。
これには孟嘗君も怒ったが孟嘗君の名を天下に高めたのですという馮驩の答えに納得したのだった。
斉は孟嘗君を宰相に迎えますます強くなっていったが秦と楚はこれを案じて多くの間者を斉に送り込み湣王と孟嘗君の仲を裂こうと画策した。
孟嘗君が謀反を起こそうとしていると聞いた湣王は孟嘗君を罷免してしまう。三千人の食客はあっというまに孟嘗君から離れていった。
馮驩だけが孟嘗君から離れなかったのである。
ここで馮驩は単身、秦の昭王に会い孟嘗君の現在を伝え今こそ孟嘗君を迎えて秦の味方にすべきです、と説く。
そのうえで斉の湣王に「今、秦の昭王は孟嘗君を宰相として迎えるつもりです。そうなれば秦が強国になるのは必然。その前に孟嘗君をもとの宰相に戻すべきです」と告げる。
調べてみるとほんとうに秦から孟嘗君を迎える馬車を走らせていると判り湣王は慌てて孟嘗君をもとの宰相に戻したのだった。
孟嘗君は馮驩に感謝した。
馮驩は孟嘗君に「去っていった食客を呼び戻してようございますか」と言い出す。
これには孟嘗君も「わたしを見捨てた連中など唾を吐きかけてやりたい」となじった。
「人々は市場に好悪があるわけではございません。求めるものがなくなれば人は去っていくもの。彼らを恨む筋合いはありません」と馮驩は説いた。
その後、斉は宋を滅亡させさらに楚にまで入った。これに自信をつけた湣王は「斉は孟嘗君でもっている」という噂に殺意を覚えた。
身の危険を感じた孟嘗君は魏へ亡命。
それから間もなく斉は楽毅率いる連合軍に攻撃され湣王は首都を捨て莒城に立てこもる。
そしてその時の宰相の謀反で殺されてしまうのだ。
後を継いだ襄王は奪われた城を取り戻し亡命中の孟嘗君と和解した。
孟嘗君は故郷へ帰って間もなくこの世を去る。
人間関係の面白さは二千年を経た今でも心を動かすものである。