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散策

『史記』横山光輝 ⑤ 再読 第2話「長平の合戦」第3話「便所の屈辱」

怖い表紙絵です。

 

 

ネタバレします。

 

 

天下制覇を狙う秦の猛将・白起の物語。

白起はまさに連戦連勝の将軍だった。数えきれないほどの城を奪い同時に数えきれないほどの首を奪った。

白起の行く所、敵はいなかったのだ。

趙はこの時七代孝成王の時代となっていた。「刎頸の交わり」で有名な藺相如は重病で床に伏し廉頗将軍もすでに年老いていた。

 

そこに韓の上党郡の大夫が超に領土として差し上げるので上党の民をお守りください、と申し入れに来たのである。

趙王は迷いながらも上党をわが領土とすることにした。

上党の領民が超へ避難を始め、趙は避難民を助けるために廉頗将軍を差し向けた。

ここに戦国時代最大の合戦と言われる長平の合戦が始まった。

 

秦軍の勢いはすさまじく趙軍は多くの被害を出す。

廉頗はこれを見て作戦を切り替えた。長平に要塞を築いて籠城し長期戦に持ち込んだのである。

 

秦では王が白起将軍に相談していた。

廉頗将軍の籠城作戦に困り果てていたのだ。

ここで廉頗将軍は一計を案じる。

廉頗を引っ込め趙括を総大将にするよう仕向けるというのだ。

趙括は兵法の天才と呼ばれる若者だった。

しかし廉頗は趙括が実践に出たという話は聞いたことがない。兵法書の暗記だけで動く将軍なら裏をかくことができるというのが廉頗の考えだった。

 

王はすぐに多くの間者を送り込み噂をばらまいた。

老いた廉頗将軍よりも若くて元気な趙括様を秦は恐れている、と。

その趙括という若者は確かに天才的ではあったが彼の父親は息子の兵法が口先だけのものでもし将軍に選ばれたら趙王に申し出てその任命を取り消してもらうようにと妻に言い含めていた。

 

果たして趙王は老いた廉頗将軍よりも兵法の大家で若い趙括を総大将に命じたのだった。

これを聞いた藺相如は病を押して宮中へ足を運んだが王はもう決めたこととしてはねつけた。藺相如はあきらめて帰宅した。

続いて趙括の母親が王に目通りした。「任命を取り消して欲しい」という。驚く王に母親は「将軍の地位で思慮深かった父親とは違いせがれの括は地位に甘んじて威張り散らしている。こんな有り様では立派な働きができるはずがない」と説明した。

「もう取り消すわけにはいかない」という王に母親は「ではもし括が将軍の任に耐えぬようなことがあっても一族にお咎めなきようお願いいたします」

中国の話凄い母親がよく出て来るがこれも凄い。

 

果たして、頭でっかちで実践の伴わない青二才の趙括は連戦連勝の白起に勝てるわけもなかった。

白起将軍の巧妙な作戦にまんまとハマり味方の死体の山を築いた。

やむなく長期戦に変更すると今度は援軍や兵糧輸送を襲われ趙軍は孤立し兵糧を断たれて飢え仲間同士で殺し合って死体を食べるありさまとなった。

趙括は最後の力を振り絞って総攻撃をかけたが兵士は立つのさえ精一杯で戦う状態ではない。趙括には雨のように矢が降り注ぎハリネズミのようになって死んだ。

総大将の死を見て趙兵四十万は全て武器を捨てて降った。

 

白起将軍は捕らえることも帰すこともできんとして四十万の趙兵を生き埋めにすることにしたのだ。

だが少年兵だけは助けることとした。

 

趙軍を分散し堀を深く掘らせそこに入らせ上から土をかけて生き埋めにした。

こうして長平の合戦は四十万人生き埋めという大殺戮で幕を閉じたのだ。

二百四十名の少年兵だけが趙へ帰国を許された。

だが白起将軍が秦軍の指揮をとるのもこれが最後となったのである。

 

この大敗北は趙王を震え上がらせ城六つを差し出して和議をまとめさせた。

秦の宰相范雎は「六城だけか。趙を滅ぼすこともできるのだが」と笑ったが和議の使者は趙が滅べばすべて白起将軍の手柄、さすればあなたは白起将軍の下で働くことになる。今ここで手を打っていた方が、と提言し范雎もこれには否もなく昭王に和議を勧めることとなった。

 

これを知った白起将軍は宰相范雎に不信感をもち、病気と称して屋敷にこもってしまったのだ。

翌年も秦は趙の首都・邯鄲を攻めたが要害の邯鄲はなかなか落ちなかった。

そればかりか楚の春申君、魏の信陵君などが数十万の兵を引き連れ趙を助けんと駆け付けたのである。秦軍は敗走に次ぐ敗走を続けた。

 

秦王はこの敗北に焦れ白起将軍にすぐ出陣するよう命じた。

が、白起は応じない。

側近は秦王に「諸侯の兵が死に物狂いで秦軍に襲い掛かるのは白起将軍に恨みがあるからです。白起将軍が殺した諸国の兵数は百万以上。その恨みが敵軍の力を高めているのです」と説いた。「白起将軍がいるところ敵は親の仇子の仇と目の色を変えて攻め寄せて参りましょう」

 

秦王は「白起が生きている限り諸国は秦に押し寄せてくるだろう」として使者に剣を持たせ白起に届けた。

秦王から剣を渡された白起は長平で無抵抗の人間四十万人を生き埋めにしたことを悔やみ「これは神の御裁きだろう」として自決したのだった。

紀元前257年11月だった。秦の民衆は白起の死に同情し村々で祀られるようになった。

前の話の最後に登場した范雎の物語である。

魏に生まれ学識もあり知恵者でもあった。

彼は官僚として身を立てたいと思い諸国を遊説して回ったが貧乏だったためにその旅も長くは続けられなかった。

生活のためにとりあえず魏の中大夫・須賈に仕えた。

その須賈が魏の国の使者として斉に行くこととなり范雎も供の一員として加わった。

だが斉との交渉はなかなかまとまらず一行の滞在は数か月におよんだ。

 

ここで范雎は斉王に目をかけられてしまう。側近が范雎を「学問にも秀で弁舌も理路整然とし主人である須賈など足元にも及ばぬ」と賛辞したのだ。斉王は范雎を「いずれ魏で重く用いられるだろう」として牛肉と酒と黄金を届けさせたのだ。

これが主人の須賈の怒りと疑惑になった。

それから間もなく交渉はまとまり一行は魏に帰った。

だが贈り物の件は尾を引いたのである。

 

須賈は魏の宰相・魏斉に斉王が范雎に贈り物をした件を伝えた。「正式の使者を差し置きその家来に贈り物とは解せま伝えた。

これには魏斉も怪しみ「魏の機密を売ったのではないか」として范雎を捕まえ拷問をかけて白状させよと命じたのだ。

 

范雎はつかまりすさまじい拷問を受け瀕死の状態となった。

更に范雎は簀巻きにされ便所に放り込まれたのである。

魏斉は宴席に呼んだ客人たちに事の次第を話し見せしめにしてほしいと伝えた。

酒を飲んだ客人たちは面白がり次々と便所に放り込まれた簀巻きの范雎に小便をかけて楽しんだのだった。

死にまさる屈辱だった。

 

范雎は便所の番人に「わしを死んだという事にして助けてくださらぬか」と頼んだ。

番人は憐み宦官を通じて宰相に死体の片付けを願い出た。

宰相と客人たちは「便所で溺れ死ぬとは」と言って笑い合いこれで国の機密を洩らす者はいなくなるとしたのだ。

 

こうしてやっと范署は便所から助け出されたのだ。范雎は逃がしてくれた番人に御恩は後日必ず、と言って去った。

 

范雎は友人の鄭安平の家を訪ねた。鄭は驚きながらも范雎を迎え入れ匿ってくれた。

范雎は名も張禄と改めたのである。

そんな時、秦の昭王は取り次ぎ役の王稽を使者として魏に行かせた。王稽は魏で従者を募集した。

鄭安平はこれを聞き申し込みさらに范雎=張禄を王稽に紹介したのだ。

王稽は張禄に会いすぐにただ者ではないと見抜き秦へ招いたのである。

 

王稽は秦王に張禄を紹介した。

が、一年もの間秦王は張禄に会うことはしなかった。張禄は自ら秦王へ手紙を書く。

これを読んでようやく王は張禄を招いた。

張禄は例を挙げて話し遠国と結び近国を攻めるのが最上策と説いた。そしてまずは腰を低くして友好を求め友好に応じなければ征伐する、という考えを話すと秦王は范雎を客卿として迎えた。

范雎はこの時用心して外交政策だけを説いたのだ。その後、遠交近攻政策は秦の基本戦略となった。

 

張禄は昭王を秦の真の王にしさらに天下人にしたいという野望を王稽に話す。

張禄は魏で死にまさる屈辱を受けた。昭王を天下人にして魏を見返してやるのが復讐だったのだ。

 

まず張禄は飾り物の王でしかない秦王に肉親から権力を奪い自分自身で政治を行うと決心させた。

張禄=范雎は宰相となり応の地に封じた。范雎は応侯と呼ばれるようになる。

 

さて秦は魏を攻める準備を始める。

これを聞いた魏王は貢物を捧げ和議を申し込むことにする。この使者となったのが范雎のもと主人だった中大夫の須賈だった。

 

范雎の復讐が始まる。

范雎はまずみすぼらしい衣服を身にまとい須賈に会いに行く。

須賈は死んだはずの范雎に驚くがその姿を見て気の毒がり食事と綿入れを渡した。

 

翌日須賈は范雎が御する馬車で宰相の館に向かった。

そしてそこで范雎が秦の宰相で張禄という名前だと知ったのだ。

震え上がる須賈に宰相張禄=范雎は「おまえには三つの罪がある」と言い渡す。

「おまえはわしが斉に国家の機密を売ったと魏斉に訴えた」

「魏斉がわしを拷問にかけ便所に放り込むのを止めようともしなかった」

「酔っぱらってみながわしに小便をかけ辱めた」

そしてその仇を今討つのは容易いが昨日そなたは綿入れを渡して私を憐れんでくれた。昔馴染みを見捨てぬ心に免じて許して遣わす。

だがその和議は魏斉の首を差し出してからのことだ。差し出さねば魏に攻め入り王族を皆殺しにしてあの恥をそそぐ、と伝えたのだ。

 

その後、魏斉は逃げ続けるがついに自決して果てた。

張禄=范雎はそれまで恩を受けた人々に恩を返していく。

その結果その人々が失脚して秦の法律によって范雎は罰を受けねばならなくなるが秦王は范雎を重用するあまりどの罪も帳消しとした。

范雎は秦王を天下人にするため尽力していったが心は重く沈んでいった。

そんな時ある説客に説かれ范雎は宰相を辞め隠居することに決めたのである。

 

范雎はのんびりと余生を送った。秦の天下統一を目前にしながら権力を惜しげもなく捨てた。知恵者らしい身の処し方だった。

 

 

良い最期だけど出だしが屈辱過ぎる。

范雎、幸福になれたのであろうか。