ガエル記

散策

『史記』横山光輝 ⑦ 再読 第3話「刺客荊軻」

秦の侵攻の前に諸国は国の存亡をかけて青息吐息であった。

燕もその一つで太子丹を人質に差し出し服従の意を示そうとした。

 

太子・丹は趙の人質になった時には秦王政と仲良く遊んだという思い出があった。

きっと秦王は自分を幼馴染として大切にしてくれるだろうと丹は信頼しきっていたのだった。

 

ところが秦王に謁見した丹が「それにしても政殿も立派な王になられうれしく思います」と声をかけると返ってきた言葉は「控えよ丹」という激しい叱責だった。

「私は今は天下の王なるぞ。なれなれしく口をきくでない。退れ」

丹はひれ伏すしかなかった。

丹は一国の人質として冷遇された少年時代に友であっただけに余計屈辱感に取りつかれどうにも我慢がならなかった。

そして前232年丹は隙を見て秦から脱出したのであった。

 

秦王は丹が逃げたという報告を受けたが「幼馴染として数年間活かしておいてやろう。それよりも天下統一を予定通りに進める」とした。

 

燕では太子丹が逃げ帰ってきたという報せに大臣たちが困惑していた。秦王の怒りだけが恐怖だったのだ。

が、太子丹は己の怒りの持って行き所の無さに苛立っていた。とはいえ秦に報復してやりたいという気持ちはあってもなにもできない弱小燕の公子に過ぎなかった。

 

一方、秦王政は丹など歯牙にもかけていなかった。それよりも絶対君主制を浸透させようという思いだけが彼にあったのだ。

 

ここで秦王は王翦将軍に「軍の精鋭だけを残し六十万の兵を二十万にせよ」と命じる。天下統一を目指すと言いながら軍を三分の一にするという秦王の考えに王翦将軍は戸惑うが事実この精鋭軍はたちまち手柄を立ててしまうのだ。これには王翦将軍自身が驚いてしまう。

だがこの急激な改革に反対する将軍が現れる。樊於期将軍である。

樊於期は「将兵世襲なので突然職を解けば家族は路頭に迷う。もっとゆるやかに減らしていってほしい」と進言したのである。

秦王は「先祖の功にたよって生きる者など必要ない」と言って樊於期の進言を退けたが心には疑心が湧いた。

確かに解雇された将兵は不満を募らせているだろう。そこに樊於期将軍のような共感してくれる将軍がいれば将兵はそこに集まり秦にもう一つの軍勢ができあがってしまう。

秦王は樊於期の処刑を命じた。

だが屋敷には樊於期はおらず家族だけを捕らえることとなる。

樊於期は愚痴をこぼしに友人の家へ行っていたのだ。

ここに知らせが届き樊於期はやむなく山に身を隠した。それから間もなく家族が処刑されたと聞き樊於期は三日三晩泣きあかし秦王に復讐を誓う。

 

樊於期は燕の太子丹の住む屋敷を訪ねていった。

同じく秦王に恨みを持つ丹は樊於期の身の上を聞きひそかに匿った。

 

太子丹のこの行動は側近の不安を煽った。

だが太子丹は樊於期将軍は守り抜くと言って引かない。

困惑した側近は太子丹に田光先生という賢者に相談されてはと紹介した。

丹が田光先生を訪ねると先生は「自分はもう老いていて役に立たない。荊軻という人物を紹介しましょう」という。

荊軻は今は遊侠の徒になっているが元々は遊説術と剣を学び衛の元君に理論を進言したが用いられずやむなく仕官をあきらめたのだという。

遊侠の徒と聞き訝しむ丹に田光先生は信頼できる男だと説いた。

しかし別れ際丹が「今の話はくれぐれも他言なさいませぬようお願いいたします」と言ったために田光先生はこの話を荊軻に伝えると自害してしまう。

「人に疑いを抱かせてしまうようでは義侠の男ではなくなったのだ」と田光先生は言い残した。

後に荊軻からこの話を聞き丹は「余計なことを言ってしまった」と嘆いた。

 

さてこうして荊軻は燕の太子丹の復讐に手を貸すこととなった。

現在の秦王の勢いは止まらず天下をとろうとしている。丹が諸国に呼びかけてもどの国も秦を怖れて応じてはくれなかった。

そこで丹が考えたのが「秦王暗殺」だったのだ。

丹は「秦王が死ねば秦国内は内乱が起こるはず、その間にわれらは諸国連合軍を組むことができる。その役目をあなたにしていただきたい」と迫った。

知恵を貸すつもりでやってきた荊軻は刺客になってくれと求められ困惑した。

だが目の前にいる燕の太子丹は遊侠の徒である荊軻に土下座し何度も頼むのである。

荊軻の心に憐みが生まれた。

「人生の半ばを過ぎ遊侠の徒として一生を終えるか、それとも一仕事して散るか。ましてや天下の王と震え上がられている秦王を相手に勝負を挑むのも悪くない」

荊軻は丹の頼みを引き受けた。

 

太子丹は経過を上卿として迎え豪邸を与えた。

 

前228年秦はついに趙を滅ぼした。

秦将王翦はさらに兵を北に進めついに燕の南境に達したのだ。

 

荊軻は太子丹に毒を塗った小刀を隠す地図として燕南部の肥沃の土地の地図と樊於期の首が必要と言った。

太子丹は自分を頼ってきた樊於期を殺すことはできないと反対する。

しかし樊於期の首こそが必要と考えた荊軻は自ら樊於期が隠れている屋敷を訪れ事の次第を話した。

秦王暗殺の話に樊於期は「喜んでこの首を差し上げる」と言い自害したのである。

荊軻はその首を塩漬けにさせた。

だが荊軻はすぐに出立しようとしなかったのだ。

 

この様子に太子丹は苛立ちを覚えて問うた。

すると荊軻は「わたしは遠くにいる信頼できる友を待っているのです」と答えた。

丹が「お供なら秦舞陽という豪傑を用意しております」というと「あんな若造には荷が重すぎます」と荊軻は答え「信頼できる人物が必要なのです」

丹が「しかしそのお方がいつ到着できるのか。もはや一刻の猶予もありませぬ」

これに荊軻は「太子がそうおっしゃられるなら出立いたしましょう」と答えた。

 

秦王は「燕が豊かな土地の地図と樊於期の首を持って降伏の使者を送ってきた」と聞き喜び咸陽宮で最高の礼を持って迎えるとした。

豪華な咸陽宮の庭には訓練された兵士が整然と並んでいたが命令がなければ昇殿は許されない。

荊軻は樊於期の首の入った桶を持ち、秦舞陽は地図の箱を持って進む。

ところが階下まで進んだ時秦舞陽はあまりの威容に圧倒されがたがたと震えだしてしまったのだ。

護衛が怪しんでこれを止めると荊軻は「辺境の田舎者ゆえ恐れおののいておりまする」と説明した。(もうなんだこの豪傑いらいらするな)

荊軻は秦舞陽を叱りながら秦王の前に進んだ。

「樊於期の首を見せい」という命令に荊軻が桶の蓋を開く。

「間違いなく樊於期だ」と秦王は満足し「皆の者、わしに逆らう者はこのようになる」と続けた。

「よし地図を見せよ」という呼びかけに荊軻は箱を開け地図を取り出し持ち上げて秦王の前に進み出「この場所は燕の南部にあり一番肥沃の土地にございます」と説明した。

と、巻かれた地図の奥に小さな刀が見えた。

「お命頂戴いたす」荊軻は毒を塗ったその小刀で秦王に切りつけた。

が、秦王はのけぞりその切っ先から逃れた。庭の兵士たちも騒然となったが勅命がない限り殿上に上がれないのだ。

秦王と荊軻は豪華な柱を中心にぐるぐると周った。

「王様、剣を剣を」

しかし秦王の件は飾りを兼ねる長剣のためとっさに抜けない。

秦王は柱を回って逃げまくる。

側近が素手で捕えようとすると荊軻が振り回した小刀が当たり毒が速攻で効き目を見せた。

「毒だ」

秦王も毒があると知りいっそう怯えて逃げた。

この時、御典医の夏無且が薬箱を投げつけた。

箱の引き出しが飛び粉薬が荊軻の目に入る。

「王様、今です。剣を」

秦王もすかさず長剣を抜き切り荊軻に切りつけた。

やむなく荊軻は毒の小刀を秦王に投げつける。

が、その小刀は宮殿の豪華な柱にによって弾き飛ばされてしまった。

逆上した秦王は荊軻を切りまくった。

秦舞陽はそれらを茫然と見ていた。

 

暗殺は失敗した。荊軻は斬り刻まれて最期を遂げた。この時、秦舞陽が秦王に抱き着いてでも動きを止めていたら暗殺は成功していたかもしれない。

 

秦王は激怒した。

 

「燕の態度は許せぬ。

趙にいる王翦将軍に燕を討てと命じよ」

 

王翦はただちに燕の都・葪(今の北京)に出撃した。

燕は防戦するも十か月で落城。太子丹は東の遼東へ逃げた。

さらに秦王は李信将軍に追撃を命じた。

 

遼東ではやむなく太子丹の首を献上することで秦と和解する道を選ぶ。

太子丹は自決を迫られ反抗するが家臣の手によって殺された。

太子丹の首は秦王に届けられ秦王はそれを見て燕攻撃を中止し他国に矛先を向けた。

 

まず魏を滅ぼし、楚に攻め入った。その間だけ燕の寿命は延びたがそれでも前222年燕も滅ぼされる。

 

荊軻が秦王暗殺を実行するにあたって信頼できる人物を待っていたというがその人物がだれなのか、司馬遷史記』は記していない。

 

秦王暗殺場面がスリリングでおもしろい。

ほんとに秦舞陽は役に立たなかった。

そういうとこが燕の太子丹のダメなとこかもしれない。

 

しかし荊軻遊侠の徒だったこともあるけどそもそも荊軻自身単に丹を騙して優雅な生活をしたいだけだった、という説はないのかな。

「信頼できる友を待っている」と言って引きのばしていたら丹が物凄くすごむので仕方なく暗殺に行ったら案外もう少しで成功しそうになったという。

 

ともかくこれほど秦王に迫った刺客はいなかったのだろう。

お医者が一番活躍した。文字通り命を守ったね。

 

どういう経緯だったにしろこの暗殺物語面白い。