ネタバレします。
間もなく敗走した漢軍を集めて韓信も滎陽城に入ってきた。
頼ってくる劉邦に韓信は平地が多いこのあたりでは戦車戦が有利として作らせた。
十万の項羽軍が現れた時にも韓信は自信を持って出陣したのである。
劉邦は昇華が韓信を「国士無双」といって推挙したことに希望を賭けた。
一方、項羽は劉邦が逃げ隠れた滎陽城を「三日もあれば落とせる」と侮った。
と、その城から撃って出てきた兵を見て項羽は皆殺しだと号令をかける。
たちまち漢軍は総崩れとなって逃げだし項羽軍はそれを追いかけた。
気がついた時には広々とした平地に出ていた。
そこには韓信が戦車を並べ待ち構えていたのだ。
戦車には御者と射手と長い戟を持った三人が乗り敵の中に突入していく。敵が算をみだしたところを後ろに続く歩兵が襲うのである。
平地ではこの戦車戦が大きな威力を発揮した。
今まで逃げてきた漢軍は戦車突入を見て向きを変え反撃に出た。
追いかけてきた楚兵に矢を浴びせかけたのである。
形勢は一気に逆転した。
項羽の運命もこれまでかと思われた時後陣の楚軍が駆け付け項羽はかろうじて窮地から脱出した。
項羽にとっては始めtの敗戦であった。
彼はいったん彭城へ戻った。
その後、項羽は斉の田広を斉王と認め和議を結ぶ。さらに趙も西魏も和議を結んだという。
これを聞いた劉邦は驚きまたもや形勢逆転になってしまう脅威を感じた。
劉邦は酈食其に「魏豹説得」を命じた。
ところが西魏の魏豹は酈食其の説得を聞いても「漢王は粗野で下品で礼儀知らずだ。成り上がり者の横柄さだけが鼻につく。覇王のやり方も好感は持てぬが漢王の態度はもっと嫌だ」と漢王と肌が合わないのだという拒否をしたのだ。
やむなく酈食其は引き返し劉邦にその言葉を伝えた。劉邦は怒った。
この時ちょうど張良が訪ねてきておりこの言葉を聞いて「くすっ」と笑った。
張良は「魏豹は魏の公子なのでそううつるのでしょう。でもそのようなことは月日があれば直せることです」ととりなした。(下品ではあるのは認めるのね)
「それでは魏豹をこのままにしておくのか」とむくれる劉邦に張良は「いいえ魏を討ち趙を討つべきです。さらに燕も斉も討てば楚包囲網ができあがります。韓信上将軍ならやれるでしょう」と続け劉邦はこの言葉に喜んだ。
韓信は木桶を使って筏を作り黄河を渡って魏豹を奇襲するという作戦であっけなく西魏を降伏させた。
漢王は西魏軍を自軍に編入して滎陽の守りにつかせ魏豹を庶民に落とした。
韓信は趙に進軍。
山道の隘路を通らねばならず「ここを襲われたらひとたまりもない」と考え陣を張って間者を放った。
趙王には名参謀の李左車がおりやはり隘路での攻撃を進言したがこれを成安君陳余が反対した。「二十万の兵を持つ我々が三万にも満たない漢軍を奇襲するなど物笑いだ。正々堂々と戦うべきだ」と王に進言し王もこれに賛同した。
これを間者から聞いた韓信は山の隘路を通り河を渡って陣を敷いた。これでは背水の陣になってしまうのだがあえてそうしたのだ。
これを見た趙軍の陳余たちは韓信の愚かさを笑った。
翌朝、趙軍は撃って出た。城にはわずかの兵が残るのみだった。
漢軍は一万あまり、すぐに自陣に逃げ込み防戦となった。
その頃別動隊の二千の兵は趙城になだれ込みわずかに残っていた兵を倒し漢の旗を打ち立てた。
城に戻るとすでに漢の旗が立ち並んでいる。趙兵は慌てて逃げ始めた。陳余は怒り味方の兵を殺害したが逃げ兵を押さえることはできなかった。
この時韓信は再び出撃し、別動隊二千も城から打って出た。
挟撃された趙軍は大混乱となり陳余は討ちとられ趙王も捕らえられた。
これが韓信の「背水の陣」である。その言葉は「最期の一番勝負」「決死の覚悟」という意味で今日も使われている。
韓信は名参謀の李左車に会い教えを請うた。
「それがしは北の燕と東の斉を討ち楚を包囲したいと考えています。どうかお知恵を授けてくだされ」
李左車は謙遜したものの韓信が伏して願う姿に答えた。
「まずこの合戦で戦死した兵士の家族を労り助けてやれば趙の人々の心をつかみ人々は食べ物や酒を献上してくるでしょう。それを兵士に与えて休養させるのです。
それから燕に降伏するよう使者を出し応じない時だけ休息した兵を差し向ければいいのです」
韓信はこの言葉通りにして趙と燕から兵を集め斉へ発進した。
ここまで韓信の行動はまさしく劉邦の救世主であり大将軍としての忠義と人望に輝いているのだけど人生はままならぬ。
それは漢王=劉邦が楚軍の攻撃を受けて気弱になり斉に酈食其を和議の使者として送ったことで韓信の意志との齟齬が生じてしまったのが始まりである。
韓信は全戦全勝。それもすべて劉邦からの命令であり韓信の忠実な戦果だった。
しかも劉邦からの連絡は何もない。韓信が戸惑うのも当然だろう。
そこに蒯通という説客が登場する。
彼は燕の降伏の時から韓信の陣営にいた。
蒯通は漢王が内密で斉と和議を結んだのに韓信への命令は何もないと聞いて「ならば斉を攻めるべきです」と説いた。「韓信は西魏から趙へと一年以上かけて北伐をされました。ところが酈食其は舌先三寸であっという間に斉の七十余城を味方につけたのです。漢王はどちらの手柄を上と見るでしょうか。漢王から中止命令が来ぬ限り斉を攻撃すべきです」
「酈食其を見殺しにせよというのか」
と思いながらも韓信は斉攻撃を開始した。斉の城は次々と落ちていった。
斉王は漢王と和議を結んだために警備を緩めていたからだ。
斉王は怒り酈食其は即座に釜ゆでの刑に処されたのである。
斉王田広は項羽に救援を求めた。
項羽は龍且将軍に二十万の兵を与え救援に向かわせた。
韓信はここでも上流を堰き止め放水するという作戦で河の中で戦い退却して龍且が嘲笑するところに堰を切って落としたのだ。
龍且は討死しかろうじて這い上がった楚軍は全員捕虜となった。
さらに逃げ出した斉の田広を追撃し捕らえ処刑した。
項羽と劉邦が滎陽を中心に一進一退の合戦を繰り返している間に韓信は北伐を遂げ天下は項羽、劉邦、韓信の三大勢力となっっていた。
ここから陳平の話となる。
陳平は魏の生まれ。貧しい農民の子だった。非常に学問好きで兄に養われながら勉強を続けていた。兄は陳平の才能に期待し自分一人で働き陳平の勉学の費用に回していた。
ある時、兄が陳平にそろそろ妻を娶る年頃だと問いかけた。
陳平は大金持ちの張負の孫娘を娶りたいと言い出す。この娘は五人の男と結婚したがなぜかどの男もすぐ死んでしまったため悪霊がついているという噂を持っていた。
陳平は村での葬式の手伝いをして張負の関心を惹きつけた。張負は陳平の家までやってきて貴族たちが乗った馬車の車輪を見つけ「あの若者はこのような馬車に乗るために勉学に励んでいるのだ」と感じなんと陳平に孫娘を娶らせたのだ。
孫娘は多額の持参金を持ってきた。陳平はその金で交際を広めた。
折しも陳勝呉広の乱が始まり陳平は魏王の陣営に加わり魏王に軍略を説いた。
ところがこのことが誰かの不信を買い「秦の回し者ではないか」と言われ逃げた方がいいと助言された。
陳平はその日のうちに逃亡。楚の項羽軍に入る。項羽から認められ陳平はここで出世し殷を平定したことで都尉となり六百両の恩賞を賜る。
ところがその後、殷が漢軍に占領されたのを項羽は陳平の不始末からだと激怒した。
陳平は項羽の苛立ちを見て処刑されると察知し劉邦の陣へと走り出した。
知人の魏無知を頼り漢王に仕えることとなる。
劉邦は陳平を気に入って以前と同じ都尉に任じた。ところがこれが周囲の不興を買う。
しかも睢水の合戦で惨敗したことを都尉である陳平の不手際だと進言する者もいた。さらに魏でも楚でも失敗して我が軍に転がり込みここでは諸将から賄賂をせびってその額によって役職を振り分けているという。
劉邦はやむなく陳平を呼び真偽を問うた。
すると陳平は都尉の大役をまっとうするためには経費が必要なのにまだ費用が出ていないと答えた。
劉邦はこれを聞き自分の不注意だったと謝った。
これを聞いて諸将たちも不平を言わなくなった。
(これどういうことなのかよくわからない^^;)(費用出してくださいと言えない、ってこと?)
間者を放ち黄金数万を使って范増や諸将が漢軍と通じているという噂をばらまくのです。項羽は人を信じぬ性格なので必ずや疑心暗鬼になり内部分裂いたしましょう。
この作戦によって項羽は范増に対し疑惑を持つようになる。
そこで陳平はさらに項羽に和睦の使者を送る。
これを知った范増は「和睦などせず敵を倒せばあなたは天下人なのですぞ」と進言したが范増を疑い出した項羽は「口を出すな。下がれ」と一喝した。
こうして項羽から和睦の返礼の使者が送られる。
この使者は「范増様からの使者」として丁重に遇されたが使者が「私は范増様ではなく項王からの使者です」と答えると途端に別室に通される。そこには粗末な料理が置かれていた。
使者は怒りながら帰り「范増からの使者でないとわかった途端粗末に扱われた」と報告した。
これを聞いた項羽は激怒。
范増は項羽に「なぜ滎陽城を攻めぬのですか」と問われても「わしの首が背後から狙われる」と范増への疑惑を口にするだけだった。
范増が漢がまいた流言と言ってももう項羽は動かない。
范増はやむなく「わしはもう用なしの身。故郷で余生を送ります」と伝えても「勝手にせい」と項羽から言われるのみだった。
しかし范増は故郷に帰る途中で病に倒れた。背中に大きな腫れものができ全身に膿がまわって死んだのである。
これを聞いた項羽はやっとやはり漢の謀略だったか、と気づき范増の弔い合戦だ、と決意した。
怒った項羽は滎陽城を猛攻して落とし劉邦、張良は関中に逃げ延びた。
だがこの陳平の「離間の策」は劉邦の天下取りに大きく貢献した。
項羽は韓信、陳平に続いて范増と智謀の士を次々と失った。陳平は漢王朝誕生後も治世にその才能をいかんなく発揮していく。
どう読んでも項羽がかっこよく読める気がしない。
横山先生が絶対的に項羽嫌いだろう。
この太目ちょび髭を好きになれそうな気がしない。(太目ちょび髭だって面白いキャラもあるだろうけど)
せめて美形キャラにしてもらえてたらなあ。
とことん嫌われている気がするのだ。