ガエル記

散策

『昭和天皇物語』能條 純一 その12

 

 

ネタバレします。

 

 

白川大将が指揮した上海派遣軍は中国軍を撃退し上海を元通りにすると停戦命令を出した、という報が成される。

裕仁は安堵した。

 

満洲長春では板垣・石原もこの報を聞きあきれていた。

しかし「それより」と石原は言う。「板垣さん、リットン調査団って知ってるか」その調査団が満洲に来る前に「満洲国を作ってしまおう」

 

昭和7年2月9日東京・本郷駒本小学校前、午後8時。

前大蔵大臣、井上準之助が凶漢に狙撃され絶命。

 

雍仁は兄宮を訪ね「関東軍満洲国という国を作ろうとしています」何も知らない裕仁に雍仁は「あるべき親政を」と伝えた。

 

2月29日横浜港

予定通りリットン調査団が来日。

同じ頃、満洲新京(長春)に溥儀と婉容が到着。

満洲国」建国。

 

井上準之助に次いで今度は団琢磨男爵射殺される。

 

第29代内閣総理大臣となった犬養毅は「満洲国は断固承認しません」と言い放つ。

その犬養毅に「青年将校らが暗殺計画をしている」という報告がされる。

 

4月30日青山東御所大宮御殿牧野大臣は皇太后に「暗殺集団〝血盟団”の首領井上日召という男が自首をした」と報告。しかしその井上日召に感化された輩がまだ数十人、軍人の中にも多数いるという。

牧野自身も狙われているという供述がされたのだ。

牧野は安全のためにしばし東京を離れると告げる。

 

その頃海軍中尉三上卓は歩兵第三聯隊分室で安藤中尉に会い「我々はいよいよ決起する」と話していた。

「標的は内閣総理大臣犬養毅ほかに内大臣牧野伸顕。陸軍の諸君、我々と共に参加を願いたい」

これに安藤は「私の答えは拒否です。理由は時期尚早」

三上卓は帰った。直後、秩父宮から呼び出される。

「くれぐれもいいかげんな連中の口車に乗るな」と。

 

陸軍大臣荒木貞夫は「昨日、上海虹口公園で停戦調印式祝賀会の中、テロリスト(尹奉吉)によって手榴弾が投げ込まれ白川大将が全身に108余りの傷を負いながらも収拾の指揮に当たり現在入院中」と報じた。

 

首相官邸では犬養毅が「チャップリンが来日する。この官邸に招待するぞ」と喜んでいた。

思想家、北一輝は「5月15日、首相官邸チャップリンの歓迎会が催される」と三上卓に話す。「は?」という三上に北は「大勢の支配階級が集まるのだ。チャップリンの歓迎会で騒ぎを起こす。これにより日米関係を不安定にし人心の動揺を呼び起こす。結果、国家改造の進展を速やかにする。三上君。決行は5・15だ」

 

チャップリンの秘書である高野寅市は彼を宮城へ連れて行った。

そして「天皇陛下のお住まいです」と説明し深いお辞儀をしてほしいと頼んだのだ。

追いかけてきたカメラマン・記者たちによってこの様子は新聞記事となり翌朝に報じられた。

 

犬養毅の側近、古島一雄は「チャップリンの秘書から連絡があり今夜の歓迎会は辞退したいと。理由はわかりません」と総理に告げた。

犬養は「さすが世界の喜劇王。キナ臭い臭いを感じ取ったか」とつぶやく。

犬養は頭山満(自由民権活動家大アジア主義者)と囲碁の約束をしていた。頭山は犬養に「海軍の将校に気をつけなさい」と告げる。

 

昭和7年5月15日、九段。

「我々は二手に分かれて首相官邸を襲撃する」

「私、三上班は表門から」

「山岸中尉班は裏門から」

青年将校らはタクシーに乗り込むとビラをまき目的意志を国民に知らせる。

「国民諸君よ。天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!」

将校らは運転士を脅し首相官邸の門を突き破って入り込ませた。

出てきた男に「チャップリンの歓迎会会場に案内しろ」というが歓迎会は中止になっていた。

犬養総理を探して官邸内を歩き回る。

部屋から出てきた犬養に銃を向けたが弾が装填されていなかった。

犬養は将校たちを部屋に招き入れ「話せばわかる。話し合おう」と座り込んだ。

「問答無用」「撃て」

 

裕仁は奈良侍従武官を通じてこの報を受けた。

犬養毅が殺害され内大臣牧野も襲われた」

裕仁の動揺に奈良は背を向け鈴木貫太郎に「君主としての心得を」と告げる。

鈴木が姿を見せると裕仁は涙をあふれさせた。

「陛下、ご試練でございます」

 

翌日裕仁東郷平八郎の参内を受けた。

東郷は「彼らの志、少しでもご理解をいただければと存じます」と告げたのだ。

 

内大臣牧野は皇太后に会い命拾いをした報告するとともに嘆願書が多く届いていることを知らせた。

「海軍将校たちを助けてほしい」というものだった。

彼らの行動は止むに止まれず義憤に駆られてのものだと、方々から減刑嘆願書が届いたのだ。軍もなぜか彼らに同情的であった。

牧野は告げた。

軍が徐々に政治に干渉し政権に乗り出す気運になっております。

軍にとって邪魔になる人間を次々と殺す。

政党政治犬養毅の死は日本の政党政治の終焉でございます。

 

秩父宮邸で安藤輝三は雍仁に報告をしていた。

荒木陸相を交えての定例会議で永田少将が小畑少将に反論したことから分裂が明確になったと。ソ連軍が強力になる前に叩くべしという小畑少将と「まずは中国に一撃を加え大陸の資源を利用してソ連に当たるべし」という永田少将に分かれたのだ。

小畑少将の後ろには荒木陸相と眞崎甚三郎参謀次長がいる。

安藤は小畑派は「皇道派」つまり「天皇親政のもとで国家改造を目指すグループ」であり自分もそうだという。

秩父宮は安藤に「私は歩兵第三聯隊を離れ参謀本部作戦課に入る。陛下に気に入って頂けるような作戦計画を起案するよ」と告げた。

 

宮城では奈良侍従武官が「入院していた白川大将が突然の急変で死亡した」と報告する。

裕仁は奈良を下がらせ涙した。

 

鈴木貫太郎静岡県興津の座漁荘を訪れ西園寺公望に会い陛下が望む「犬養首相の次期首相の条件」を伝えた。

 

国際連盟が日本に派遣したリットン調査団は調査の結果満洲事変について満洲国の建国を否認する報告書を連盟へと提出した。

日本はこれを不服とし衆議院議員松岡洋右を全権としてスイスジュネーブ国際連盟本部へと派遣した。

裕仁は松岡に「国際連盟に留まる、それがおまえの役目である。連盟で各国からいかなる批判を浴びようとも我慢に我慢を重ね国際連盟に留まってくれ」と命じた。

 

松岡洋右、スイスへと出発。

 

ここから先が物凄く重要な局面なので今日はここで区切ります。

天皇の苦悩が凄まじく・・・ってなんでなのか。

天皇は国民の父なんだけど子供たちが言うことききやしねえ。

こんな悪ガキども、どうやって躾ければいいんだか。

ふざけるなと言いたい。