1971年「少女コミック」12月号(1971年2月)
このシリーズでいつも使っている通称「赤本」の本作掲載巻を持っておらず慌てて検索したら『11月のギムナジウム』文庫本に収録とわかったもののその本がすぐには見つからず焦りました。内容は頭の中に入っているのであるはず。
これでした。
しかしこの表紙はいったい何を描いているのか、いまだにわからない。だれ?この女性???
ネタバレします。
小さな女の子マチルダは両親と共に田舎に越してきた。病弱なママの保養のためだった。
その家にはお城のような搭があり小さなマチルダはママに「あの塔にはなにか秘密の匂いがするわ」と言うのだった。
そしてその塔には三人の妖精が住んでいた。妖精は信じている人間にしか見えない存在なのだがマチルダには三人が見えた。
デデ・ビビ・フォーラという三人の妖精と仲良くなったマチルダは妖精たちからマーティと呼ばれるようになる。
マチルダはママの病気を治して、と頼むのだがそれは妖精たちにはどうにもできないことであった。
短編作品なのだが萩尾氏はあの独特の構成力で長くなるはずの物語を形作ってしまう。
マチルダにトーマスと言う男の子の友だちができるが父親の死で彼は遠くへ行ってしまう。
ママは病死しマチルダはパパからおまえは孤児院から引き取った子どもなのだと打ち明けられる。
マチルダは妖精たちのいる搭へ行くことがなくなってしまった。
それでも三人の妖精たちはマチルダの成長を見続けた。
数年後今度はマチルダのパパが事故死。落ち込んでいたマチルダの前に青年が現れ恋人になる。しかしその彼は別の女性を好きになり結婚するだろうと噂していた村人たちは今度は別れたことを噂し合った。
マチルダはそんな村に居るのは辛くなり出ていく。
三人の妖精はいつかマチルダがこの村を思い出すようにと本の中にひとかけらの光を投じた。
しかし都会の生活はマチルダを疲弊させるだけだった。
ある日田舎から持ってきた本の頁を開いた。
マチルダは村を思い出し、そして都会には何も思い出すものがないと判る。マチルダはすぐに村へ戻った。
途中、「搭のある家」は別の人物が買い取ったという話を聞く。
叔母には「この家は好きにしていい」と言い残して去ったマチルダは衝撃だった。
しかしその買い取ったという人物は昔親友だったトーマスだったのだ。
二人は結婚しマーガレットと言う娘ができた。
三人の妖精たちはいつかマーガレットが搭にやってきたらその時また「マーティ」と呼ぼうよとささやきあった。
ううむ。マチルダの半生とも言える時間をこの短編に落とし込みながらも涙があふれ出てしまうほどの感動を与えるという技量よ。
駆け足と感じないほどに物語を読ませてしまう。
横山光輝氏の作品を知って、このすばやく長い物語を短く語る技量を感じたのだけど萩尾氏が横山氏から影響を受けているということはないだろうか。
妖精が出てくる話にもかかわらず妖精が使った魔法は「少なくなったはずの牛乳がいっぱいになった」ことと都会に出て行ったマチルダが「村を思い出す」ことだけ、というのも良い。