1971年「別冊少女コミック」5月号(1971年4月)
萩尾望都ならではの作品です。
ネタバレします。
これを初めて読んだ時は萩尾氏が両親、特に母親に、だろうか、に対して苦しい思いを持っていたとは知らなかった。
なので単純に恐ろしい話を描ける人なのだと思ったものだ。
まだ幼い少年のティムは大人たちを観察し判断する。
大人たちはしがらみの中で生きていて自分の思いをそのまま実行することができない。
そんな大人たちの欺瞞にティムは我慢がならないのだ。
この母親というのはなんだろう。
以前恋人だった男が「もう二度と会うこともないだろう」と言って去っていったのをずっと思い続けている。しかも何もせずにただ窓際に座って空を見続けていた、というのだ。
これは「子どもを見ていない」という意味を表しているのだろう。
そしてティムはそんなママを「かわいそうだ」と思って体当たりして窓から落として死なせてしまう。
ママを死なせたティムはすっきりしているようで「ぼくのやったことがまちがっていると言うのなら誰か教えてください」と開き直っている。
そして死んでしまったママの葬儀後にかつての恋人だった男シーフレイクが(しゃーしゃーと)やってくる。
シーフレイクが甘い悔恨にふけっている時ティムが「ぼくが突き落としたんだよ」と言い出して今度はシーフレイク氏、ティムに怒りをぶつける。
これにもティムは動じることもなく「シーフレイクさん、あなたにどうしてそんなことが言えるの」と言い返す。
ティムの揺るぎなき正論に論破されたシーフレイクはすごすごと帰路に就く。
ティムは将来(というか今現在もだが)サイコパス殺人鬼になりそうな予感がする。
美しい作品だと思うのだけどティムはほっとけばよかったと思うよ。そんなママ。
確かに死にたかったんだろうと思うし、殺してもらえたことで「かわいそうでなくなった」けどそこまでしてあげなくて放っておけばよかったんじゃないかな。
でも気になるのが子どもなんだろうな。
しかし。
萩尾望都氏が両親に気まずい感情を持ち続けていた、と知ってしまった今となってはこの作品は怖すぎる。
明らかにティムは作者本人なのだろうからだ。
本作は願望が描かれているとしか言いようがない。
そして「落ちる母親」というモチーフはずっと後に『マージナル』で繰り返される。
あの作品でも唯一無二の母親が死んでしまうが、世界はまったく破滅しないのだ。
あっけらかんと世界は続いたのだった。
ところで先日記事にしたこの表紙絵の謎が判明した気がする。
『11月のギムナジウム』の表紙にこれだから「誰?」となっていたが本作がここに収録されているので「こっちか」となった。
この絵は『11月のギムナジウム』のエーリクやトーマやらじゃなくて『かわいそうなママ』のティムとママなのじゃないかと今頃気づく。
だとすればこの女性は突き落とされて死んでるママだ。
のぞきこんでる少年は「死んだかなあ」と確かめているティムなのである。それが表紙って。
しかもタイトルではない作品を使うのって。