この「10月の」はレイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』からきたものでしょう。
『10月はたそがれの国』は『THE OCTOBER COUNTRY』なのでこれでよいのであります。
『10月のたそがれ少女』でなくてよかったです。(もしかしたらそういう作品あるかも)
ネタバレします。
その1.トゥラ
隣同士に住んでいる少女トゥラと少年ロビー。
トゥラは「宿題を手伝って」とロビーを部屋に呼ぶ。
そして「ロビー、女の子にキスしたことある?」と聞いてくる。「やってみない?」と誘うのだ。
ロビーが「実験じゃなくて本気でやるよ」といってキスするとトゥラは「いやあ」と泣きだした。
その2、真知子
庭で恋愛小説を読み溜息をつく真知子の前に突然飛び込んできた少年・行(コウ)。なぜか真知子の両親は知人の息子であるという彼を数日預かることにしたのだ。
永遠の愛を夢みる真知子にとってコウはあまりにもがさつで最低生物と罵る存在だった。
真知子の日記を読み読書感想ノートと思い込み「つまんねえ本ばっかっし読んでるな。どうせならアシモフヴォークトスペースオペラだ」と言って真知子に追い掛け回される。
しかしコウがやってきたのは彼の母親が胃ガンで真知子の家の近くの病院に入院したからだったのだと知り真知子ははっとなる。
そしてコウは父親が迎えに来て行ってしまった。
急にガランとなる家の中。
「あ、学校は同じなんだ」と気づきほっとする真知子。
コウが忘れていったスペースオペラの本を手に取り「読んでみようかな」とつぶやく。
その3、フライシー
結婚の前に少女の時が過ぎ去る不安と悲しみを覚えるフライシー。
今の読者としては最も違和感があるかもしれない。
とはいえフライシーも結婚してしまえば「自分なりの時間を持つのは当然よ」となりそうでもある。
さてここで思い出した話。
かつて『11人いる!』文庫本に収録されていた際、小松左京氏が解説を書かれていてなぜか表題作の『11人いる!』よりも収録作品である『10月の少女たち』に多く言及されていた。
特に小松氏は第二話の「真知子」がお気に入りであったようだ。
その解説タイトル『「女性特有」の青春の感性』からして現代では忌避される感覚である。中身はもっと女性差別なのか嫌悪なのか女性感性への苦手意識が前面に出ているものなのだがやはりこうした感覚が当時の男性には当たり前のものだった、むしろ「女性が書いた作品を読んで解説をしていること自体偉いものだ」くらいだったのだと考参考にしていただきたい。
なにしろ小松左京氏は萩尾望都の作品に接して初めて(!)「自分が読んできたものがほとんど「男性」のものばかりだったことに気づかされたのです」と書いているのだ。
作家の告白としては驚天動地と言いたいがこれもまた当時の男性作家としてはごく当然の告白だったのかもしれない。