1971年「別冊少女コミック」12月号
名作文学のマンガ化はかなり行われてはいると思いますが萩尾氏のこれはいったいどうして行われたのでしょうか。
言っちゃなんだけどほんとに心えぐってくる嫌~な話である。
インゲの悪娘感がたまらない。
綺麗な顔が自慢で蠅の羽根をむしる娘。
でも働きに出た先のおかみさんには気に入られていたのだからそうそう悪くはなかったはず。
しかしもらったパンを踏みつけたことでおぞましい場所に堕ちてしまう。醜い沼女にからかわれながらかつてインゲ自身が羽根をむしったために飛べなくなった蠅が彼女の身体を這いずり回る。そしてお腹がすいてくるが足の下にあるパンを手に取ることはできないのだ。
母親や色々な人々の声が聞こえてくるがインゲの心はねじくれたまま動かない。だが一人の少女の「インゲがかわいそう」という一言と涙でインゲの心が溶けてしまう。
一羽の小鳥となってパンくずを集め続ける。
そのパンくずが自分で踏みつけたパンと同じ量になった時、インゲは白い鳥となって天国に召されるのである。
アンデルセンの物語をマンガ化せよという注文を受けたのか、萩尾氏が望んだのか。
美しい結末ではあるがそこに至るまでのおぞましさのほうが記憶に生々しい。
特にパンを踏みつけるという行為がいまいち理解できない。
食べてしまって石ころでも見つけたがよかったのではないかというアホな提案をしたくなる。焼きたての美味しそうなパンだった。また美味しそうに描かれているから勿体ない。私が良い人とか言う意味でなく私ならまず食べる。
お母さんにあげず自分で食べてしまった罪、というのならまだわかる気がするが。
それではアンデルセンの物語の意味が損なわれるのだろう。
パンは踏まずに食べよう。
踏むためには別の何かを探す。
基本理念である。
こういう考え方では良い話は描けないのだけどね。