「フラワーズ」2019年7月号、2020年8~11月号
「フラワーズ」2021年6~8月号、10~11月号
第10作「ランプトンは語る」の前日譚です。
アーサー・クエントンとエドガーとアランの物語。
ネタバレします。
この二巻の間に一年以上の時間が経ち萩尾氏の絵がはっきりと変化していくのがわかる。
物語は40年前と比較すると格段に円熟し深みを感じさせるが絵は肉体の変化が露骨に出てくるものなのだろう。
構成、演出、構図は素晴らしいのだが「線」だけはどうすることも出来ないのかもしれない。
逆に言えば萩尾氏はペン入れを他の人に任せることなく自身で行っているのだろう。
人はこの作品をどんな気持ちで読むのだろうか。
萩尾望都氏はアーサー・クエントンその人であるだろうし私もまたそして読者の多くもまたそうなのだろう。
アーサー氏の設定はまだ33歳だけどとても年を経た人のように思える。自分自身がそうだからだろうか。
実際33歳の男性なのなら本当にこれから始まると言ってもいい。
だがアーサーはなにもかも遅すぎると感じるのだ。
そして人間であることをやめる。
ケイトリンにいたっては一度ポーの村から逃げ出したのに人間社会に居場所がなく自分の意志でポーの村へ戻り一族の仲間入りをする。
我々もまた人間社会になじめなければポーの一族になれるのだろうか。
この物語を読んで勝手に作者氏と重ねてしまうのは読者の傲慢にすぎないのだがやはり私たちはエドガーに会えたらと願っているのだと思う。
人間社会に絶望したらエドガーは来てくれるのだ、と。
それを考えたらアーサーは幸福ではないか。