ガエル記

散策

『合葬』杉浦日向子 その3

続きます。

 

ネタバレします。

 

(五)

悌二郎の妹砂世は別の人に嫁ぐこととなった。

その前に一目、極に会いたいという。妹の頼みを悌二郎は極に伝えに行く。

極はその頼みを断る。その時に「山は官軍に取り囲まれている」と報がはいった。

即刻戦闘準備がなされたが具体的な作戦指令はない。

春日左衛門が檄を飛ばす。

弾避けは畳だった。

悌二郎は逃げ遅れしまう。

丸毛靱負は「一人一殺だ。死ぬ前に必ず敵を一人以上殺せ。銃声がしたら木に隠れるか伏せろ。弾に当たって死ぬほど無駄なことはない」と言い渡す。

極は悌二郎に謝った。

悌二郎は昔兄と共に蝉が脱皮する瞬間を見たことを思い出し極に話す。

「いや、なんでもない」

 

 

(六)

雨が降っている。

静寛院宮御付服部筑後守および田安家家臣一色純一郎両名による降伏の勧めがあったが彰義隊頭池田大隅守(備前池田家の分家御小姓を勤めた)はこれを断る。

説得は失敗した。

両名が黒門を出、三枚橋を渡り切ったのを合図に戦端が開かれた。

五月十五日午前七時。

不忍池に着弾する。

日月を刺繍した錦の御旗と徳川家紋所の旗が掲げられ新政府軍兵と彰義隊隊士の戦いが始まる。

が、圧倒的な新政府軍による銃弾の前に隊士たちは次々と撃ち殺されていく。

 

(七)

とどめと見てか加賀邸(現東大)より佐賀藩のアームストロング砲が連射される。この砲の弾丸は強力な破裂弾で樹木を裂き火を発し付近の人間をすべて殺傷した。

当時日本にはこの時用いられた二門しかない。

この時花鳥茶屋から逃げ出した見世物の孔雀が飛び上がりその様は鳳凰の如くだった。

隠れていた悌二郎はその様子に見惚れ立ちすくんでいた。

秋津極と吉森柾之助は悌二郎の姿を見つけその名を呼んだ。

その声に気づいた悌二郎は銃声の中を走り寄ってきた。

そして倒れた。

「転んだのか」

その後から官兵が走り寄ってきた。

極はたまらず悌二郎に向かって走った。

悌二郎は死んでいた。

その首を切り取り極は抱えて走った。

しかし極の腕に銃弾がかすめ、耐えきれず転び首を落とした。

 

この日。彰義隊の戦士はおよそ二百六十六。実数は定かではない。官軍の損失は二、三十という。

わずか六時間の戦争である。

 

つまり昼過ぎには終わってしまったということか。

そして生き残った隊士たちは「会津で」を合言葉にちりぢりに落ちていった。

 

二百六十年ほども戦もなく存在した武士たち。この若者(というかこどもたちに近い)は気持ちだけは武士でも戦争というものをどんなふうに考えていたのか。

杉浦日向子氏の描く若者たちはか細くはかなげだが実際このくらいであったのではなかろうか。