ガエル記

散策

『陽だまりの樹』手塚治虫 二巻「鳴動の章」

 

ネタバレします。

 

冒頭の丑久保陶兵衛とその妻のエピソードが怖くて一番記憶に残ってしまった。

本書の熊菱という蘭方医に臨月の妻を診せたところ「すぐに産ませた方が良い」と言って薬を飲ませたが生まれる気配はなく妻は苦しみだした。

慌ててその医者は陰部を切り裂いて子供を引きずり出したというのだ。

それ以後その妻は子どもを産めぬと言われたうえ顔に痣ができ頭髪も抜けはじめた。

丑久保は恨みを晴らそうとしたがその蘭方医はどこかへ逃げてしまったのだ。

牛久保は手塚良仙に「同じ蘭方医の責任で妻の身体を元に戻せ」と無理難題をもちかけ「できないならその指を全部斬り落とす」と迫った。

 

出産のアクシデントは最も辛いことのひとつだ。

待ち望んだ子を失い、母体も傷つけられてしまう。

それだけでも怖いのにその腹いせに関係のない良仙の指を切り落とすというのだ。

だが妻が丑久保を押しとどめそこへ伊武谷が現れたため牛久保は刀を納めて出て行った。

 

ここで伊武谷が説明する。

「攘夷派ってやつは蘭学に関係している人間は十把一絡げで憎いんです」

以前はこの話が怖いだけだったのだが今回の私の読書は幕末・維新・尊王攘夷が目的なのでこの話は大いに興味深い。

 

さて手塚良仙はこの時とにかく江戸に種痘所を設けるという念願を持っていた。

日本でも他の場所では佐賀藩主の成功から京都に種痘所が出来、大坂でもすでに普及しているのだが江戸だけが立ち遅れていた。

それは将軍の周囲には漢方医が立ちはだかって牛痘を植えると牛になるという噂を広めていたからだが良仙はなんとかこの状況を打破し江戸に種痘所を作りたいとあちこちに働きかけて回っていたのである。

 

しかしその活発さが奥医師たちの怒りを買い良仙は奥医師らに囲まれて詰問される羽目になる。

宗教裁判を思わせた。

 

冒頭に登場した水戸浪人牛久保陶兵衛は尊王攘夷派の人斬り集団に入る。

最初の仕事は手塚良仙、そこで伊武谷万二郎の名も挙がり丑久保は「俺が斬ろう」と言い出す。

その仲間に房州、楠音次郎という不敵な面構えの男がいた。

楠音は良仙宅を訪ねて帰るおせきに目をつけ狼藉を働こうとする。

そこへ居合わせた伊武谷は楠音を斬りつけおせきを救った。

気を失ったおせきを運んできた伊武谷の様子を見て良仙は息子良庵だけでなく伊武谷もまたおせきに心を寄せていると初めて知る。

 

伊武谷万二郎と山岡鉄太郎(小野鉄太郎)は藤田東湖を訪ねる。

水戸学の大家である。学校奉行の任にあたっており全国の若者があいついで訪れていた。

ここで本作のタイトルである『陽だまりの樹』が登場する。

藤田東湖はふたりに陽当たりよく風も強くない場所に植えられていた老桜樹を示して語る。

「この樹は家康公御入国の際若木であった。つまりこの樹は徳川三百年を共に生きてきたのだ。この桜はぬくぬくと三百年太平の世に安泰を保ってきた。ところが知らぬ間にシロアリや木喰い虫の巣になってしもうた。もうこれはあと十年も持つまい。徳川の世はこの陽だまりの桜の樹のようなものじゃ」

うむう。わかりやすい。

「このままでは幕府はいや、日本は滅んでしまう」

伊武谷は問う。

「私たちはどうすればいいのですか」

「苦しむことだ。若い時は苦しめば苦しむほどよい」

藤田東湖はこれからの十年たぶん日本は未曾有の大事件にみまわれるだろう。貴君たちは枯れかかった徳川幕府という大樹の最後の支柱となるんだ。

 

こういう話です。

ありがたい。

 

さてあの攘夷派の人斬りたちが手塚良仙宅に向かっていた。

がこの日、十月二日午後十時江戸の東を中心にマグニチュード6・9の直下型地震が起こった。

その瞬間、一万軒の家が崩壊し十万人が下敷きになり江戸市中三十か所から火の手が上がった。

伊武谷はおせき殿の安否を案じ江戸中を駆け回るがその際に多くの人を安全な場所へと移すことになる。

そしておせきを見つけ告白すると「もう人を殺めない、傷つけないと約束してくださるのなら」と条件付きで受け止めてもらうのだ。

伊武谷は喜んで帰っていく。

ところがその道中で自分が避難させた人々がヤクザに絡まれていると知らされその場で次々と斬りつけてしまうのだった。

 

しかしこの話が江戸城阿部正弘の知るところとなり伊武谷は突如取り立てられることとなっていく。

 

手塚良仙は地震でケガをした人々の治療で大わらわだった。