ガエル記

散策

『陽だまりの樹』手塚治虫 八巻「万延の章」その1

幕末から明治維新

よく日本人は江戸城無血開城で平和的だと自慢する向きがありますが事実はそんな生易しいものではないのですよねえ。

 

ネタバレします。

 

安政六年の秋から冬にかけて大獄の嵐が吹きすさんだ。

頼三樹三郎、鵜飼吉左衛門吉田松陰は斬首。水戸藩家老安島帯刀切腹徳川斉昭永蟄居。越前藩主松平慶永隠居謹慎。

福井藩士橋本佐内、斬首。

 

さて良庵は善福寺のおせきを訪ね万二郎の無事を伝え、おせきが万二郎に好意を持っていることを確信する。

しかしここで(あの暗殺された)多磨屋の若旦那成吉というのが登場する。

この男化粧しているのか赤い唇(?といっていいのだろうが?)のなよなよした風情なのだが物凄い女たらしだという。

清純な美女おせきにしつこく言い寄っては嫌がられている。

しかも義父を丑久保を雇って暗殺させ跡を継いだのだ。

そして今度は丑久保に善福寺の住職、つまりおせきの父を殺してほしいと頼み込む。

そうすれば娘のおせきをわがものにできると考えたのだ。

 

1860年、万延元年の年が明けた。

横浜港から日本開闢以来の渡米使節団が米国海軍のポーハタン号と日本が保有する咸臨丸に乗り込み世界一周をするのだ。

(いきなりものすごいことする)

これに福沢諭吉も乗り込むことになった。

良庵夫婦は福沢を見送り横浜見物を楽しむ。

 

一方、伊武谷万二郎は水戸の山で平助相手に剣術の稽古に励んでいた。

平助は殺しは得意だが剣術の道は険しい。

水戸の冬山の寒さは厳しく万二郎は眠れないまま考えた。そして江戸に戻り磯貝長八郎を仕留めると決意し翌朝山を降りる。

 

万二郎は以前拷問を受ける羽目になった地下道を確かめに向かう。

そこには井伊の裏金になる金の延べ棒が運ばれた場所だ。

そして水戸藩士たちは井伊直弼暗殺の相談を料亭で行っていた(バカなの?)

ひとりの芸者がその話を盗み聞きし磯貝長八郎邸へ知らせに行く。磯貝はすぐに邸を出るがそこに万二郎が待ち伏せしていた。

 

万二郎は磯貝の腰を切り倒してしまう。井伊直弼悪行の証人を死なせては元も子もないと良庵宅に向かい救命を頼む。

渋々ながらもなんとか治療を始めると磯貝は鐘の音で意識を戻し桜田門で井伊大老水戸藩士に襲われるとつぶやいた。万二郎は飛び出した。

が、万二郎が到着した頃にはすでに井伊直弼の首級は討ちとられ周辺は惨状を呈していた。

 

万二郎が興奮のまま良庵宅に戻ると良庵の巧みな手術によって磯貝は蘇生していた。

だが万二郎の井伊大老暗殺の知らせを聞くや手術刀を取り自害して果てた。

彦根藩士の死者八名、負傷者十数名。

襲撃の浪士一名討死、四名自刃、四名肥後藩屋敷に自首、四名老中脇坂邸に自首、五名行方不明。

自首した一人斎藤監物は全員を代表して斬奸趣意書を老中に提出した。そして裁きの場で彼らは井伊が公益を着服し私腹を肥やした悪事の調査を乞うた。

そしてまもなく全員切腹を命じられる。

大坂にいた同志の高橋多一郎も切腹した。

それから二年後、彦根藩は井伊の側近長野主膳を召し取って斬首した。それが井伊直弼独裁政治の最後であった。

 

前半まで。

続く。