ガエル記

散策

『陽だまりの樹』手塚治虫 九巻「落花の章」その1

 

ネタバレします。

 

万二郎がおせき殿の異変を知るのは三日後だった。

ふたりの仲人をしようとしておせき殿の寺を訪ねた良庵が彼女がすでに尼寺に入って髪をおろしてしまったと聞いたのである。

良庵の知らせを聞き万二郎は善福寺へ走ったが住職とも会えず出てきたヒュースケンの口から彼がおせきを強姦しその後おせきが姿を消した、と言われたのだ。

万二郎はヒュースケンを斬ろうとして思いとどまった。

 

万二郎はおせきが入ったという全稱寺へと走り訴えるがその門は固く閉じられた。

ヒュースケンはもう別の女たちを手に入れ喜んでいた。

 

万二郎はアメリ使節の護衛を辞退した。

 

その夜、プロシアの新任の使節が通訳を欲しておりヒュースケンは接遇所へとむかっていた。

そして丑久保陶兵衛の襲撃を受け殺害されたのである。

 

この刺客による斬殺をきっかけにして日本ではテロリズムが大手を振ってまかりとおるようになる。

文久元年(1861年)高輪東禅寺のイギリス公使を水戸浪士らが夜討をかけたが行使のピストルに驚いて退散。

元治元年(1864年)には鶴岡八幡宮にて同じくボールドウィン少佐が暴漢に殺害された。

そして極めつけが文久二年八月二日のいわゆる生麦事件といわれる惨劇である。

薩摩藩主、島津久光の行列に乗り入れてしまったイギリス人リチャードソン達が斬りたおされた。イギリスは幕府と薩摩に十二万ポンドという賠償金を要求した。

この事件が攘夷派武士たちをますますテロリズムにかりたてていく。

 

良庵の父、良仙が体調を悪くして倒れる。

義弟の俊斎は良庵にすぐにでも良仙の名を継ぐよう勧めるが良庵は尻込みするばかりだった。

しかしその大槻俊斎自身が胃がんで死去してしまう。

良仙の頭はもうそれさえも理解できないでいた。

 

伊東玄朴は医学所頭取は緒方洪庵しかないと決めて大坂適塾へ丁寧な手紙を送った。

洪庵は欲がなく適塾から離れる気はなかったが人の好い洪庵は断り切れず江戸へ向かう決心をした。

そしてついに良仙が死に良庵は良仙を継ぐ。

 

良庵は良仙を名乗るが馴染みの患者たちは「前の先生は良かったのに」と次第に遠のいていく。

そんな折、シン良仙のもとへ「手当てを頼みたい」という血だらけの三人の武士たちが転がり込んできた。

坂下門外の事件で残党だった。半年間潜んでいたのが仲間内で斬り合ったというのだ。

良仙は治療をしたが一人は死んだ。

生き残ったふたりは番所に取り立てられていった。

良仙の男らしい対応に妻のつねが惚れ直す、という一幕であった。