ガエル記

散策

『シュマリ』手塚治虫 その5 完結

最終巻です。

この内容でたった四巻というのは現在のマンガでは考えられない。

ずしっと重い四巻です。

まったくの未読の初読みでした。こんなすごい話とは思わなかったしこんなに読みやすいとも思ってなかった。やはり手塚マンガは(少なくとも私には)めちゃくちゃわかりやすく読みやすいのになぜかすごく濃厚なのだと改めて思いました。

今となってはこの絵柄で損をしているのかもしれません。

私でさえ「今風の絵柄であったら」と思ったりもしますがこの絵柄だからこその良さもあります。いやそうに違いありませんね。

 

 

ネタバレします。

 

今回の『シュマリ』読書。1~3巻を文庫本で持っていて4巻のみをデジタルで読んだがその二巻めに手塚治虫氏のあとがきが載っている。

そこにおおよその意味として「日本版西部劇の颯爽さを基盤にアイヌ民族の歴史的悲劇を捉えて組み立てようとしたものの調べるほどに簡単なものではないとわかり割愛せざるを得なくなった」とされている。

したがって本作は中心テーマが骨抜きになり仰々しさのわりに捉えどころがなくなりシュマリの行動も気負いだけの空虚なものになってしまった、と書かれている。

それでも手塚氏は『シュマリ』を精一杯書いたとされている。

このあとがきは胸を打つ。

確かにアイヌ問題は簡単なものではないはずで現実でもその問題がなんらかの解決をしたとは思えない。ただ時が経つのを待っているとしか思えない。

むしろ手塚氏が本作でシュマリが最後までその問題と戦って解決したとしたら虚偽になってしまったのではないかとも思う。

それは一人の人間が短時間で解決できるものではないのだ。

シュマリがアイヌの人たちと出会いその問題を強く感じたどうすることもできず彷徨い続ける物語になったのはある意味正解だったのではないか。

 

シュマリが北海道にくる以前の人物像はぼんやりと描かれる。どうやら江戸にいた武士で上野戦争に関わったものの佐幕から官軍方についたと妙に言われて否定してはいない。妙の言葉通りならそれでシュマリに失望した妙は大月と結ばれて北海道へ向かいその妙を追いかけてシュマリもやってきた、という経過はそうなのだろう。

 

シュマリの造形は「一途な大男」に尽きる。

武士としてしか生きられずシュマリの目的は「妙を取り戻す」ことでしかない。

四巻で作者はポン・ションの口を借りてシュマリを罵倒する。

「この人を見ろ」

お峯はシュマリに惚れ込んで生んだ弥三郎と養子ポン・ションを十二年間女一人で育て上げた。お峯はアイヌ差別意識を持っているがポン・ションのことは反感もなく可愛がっている。

確かに素晴らしい女性なのにシュマリの恋心は妙にしか向いていない。二十歳に成長したポン・ションはシュマリを殴りつけ怒鳴りつける。これは作者の気持ちだろうし私もそう思う。

たぶんシュマリは手塚氏がどうやっても「新しい男」になろうとしなかったんだろう。腹の立つ男である。正直言ってシュマリが大嫌いだ。だが物語は最高である。

 

しかしその(元)恋女房たる妙も奇妙な女性である。

彼女は結局四人の男をその美貌で手玉にとる魔性の女というべきなのだろう。

ここでやはり妙こそが「乱れ髪」なのだとわかる。

妙に惹かれた男たちは妙を手に入れることで不幸になるのだ。

主人公シュマリは妙のために絶対に幸福にはなれない。

月氏は早々と死んでしまい、華本男爵は華麗なる紳士ではなくなってしまう。

そして最後にうっかり妙と出会ってしまった太財弥七もまた毒牙にかかってしまう、としか言いようがない。

「妙」こそが魔性なのだが男たちは魔性の女と交わることこそが喜びなのだと言っているのだ。もちろんそうなのだろう。

しかしシュマリの家が燃えていると知らされ弥七は妹の峯を案じて馬車を自ら御する。

この時妙もまたその馬車に乗り込む。

妙が本当に愛していたのはシュマリなのだとこの時わかるのだ。

(しかしほんとうだろうか。妙はどの男に対してもそうした行動をとりそうにも思える)

結局シュマリたちの無事はわからぬまま妙は華本家に戻り夫から射殺される。

華本男爵は殺人容疑で逮捕されるが妙がその身を犠牲して得た書類はしかるべき筋に渡す。

妙が死ぬと物語は一気に収束へと向かっていく。

お峯は兄・弥七から妙の死を知らされるがシュマリには伝えない。

妙の存在だけがシュマリの生甲斐だということを知っているからだ。

そして知らない間シュマリは峯の側にいたが偶然郵便配達人からその出来事を知ってしまい知った途端シュマリは駆け出すのだ。

 

シュマリは妙の墓を見て彼女がもうこの世にいないことを知る。

その後ポンションに会い経緯を聞いて妙が弥七にその身を売ったことを知る。

それから華本男爵を殺すために刀を買うが途中、太財弥七の炭鉱である男の企みから暴動が起こされるのを聞いて弥七に会い妙の話を問いただす。

弥七は平然と話をした後、妙がシュマリの家までついていき焼け焦げたシュマリの上っ張りを隠して持ち帰っていたのを男爵が知ったのだと告げる。

シュマリは妙がほんとうに愛していたのは自分だと確信した。(いやだから妙さんの心ってわかんないって)(そういう男心をつかんでしまう魔性なんだよ)

 

シュマリと弥七は暴動をおこした連中と戦うが心臓が弱っていた弥七はそのさなかに発作を起こしたところを撃たれてしまう。

そしてシュマリは暴動の徒に取り囲まれ打ちのめされる。

 

第三十一章「大団円」

なんとシュマリはその囲みから逃げおおせ指名手配犯となっていた。

ポン・ションは養母である峯の兄、太財弥七の墓に参り「立派な人だった。だが旧い型のの人だったから近代企業競争に負けてしまった」と話す。

ポン・ションは華本男爵の農場で働くことになっていた。

 

時が経つ。

 

シュマリらしき人物が小樽の港からある船に乗り込んだのが目撃された。

時代は日清戦争の頃。

ポン・ション改め首麻里善太郎のところへ召集令状が渡される。大日本帝国陸軍の兵士として戦えというのだ。

反発したポンション改め首麻里善太郎だったがこれも運命とあきらめ清国へと向かった。

1895年(明治28年

相変わらず女手一つで牧場を経営するお峯のところへ善太郎からの手紙が届く。

行軍中に朝鮮でシュマリに遭ったというのだ。

もっと北の中国の東北部へ向かうという。

そして一旗揚げたらお峯を呼び寄せるというのだった。

 

完。

 

さてこの続きは読者の想像に任せられるがどう考えたってシュマリはきっとお峯と再会するはずだ。

それが本当に中国東北部に呼び寄せるのか、北海道に戻るのか。

どちらも良いような気がする。

シュマリは武士として生きていくがよくある「武士として死ぬ話」ではないことが素晴らしい。

 

本作は『ゴールデンカムイ』を思い起こさせる。

 

『シュマリ』は日清戦争中の1895年(年内で戦争は終わる)で終わり『ゴールデンカムイ』はそれから12年後、日露戦争が終わった後の話になる。